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tag:釣り

秋よ春よ。

2019.10.15

鮎釣りが終盤を迎え、川の色は澄み始め、川面を滑る風はいつしか涼風に変わる。朝晩は、めっきり気温を下げて、日課の朝の散歩は、半袖から出た腕やビーサンの素足が冷たく感じ始める頃。そんなとき現れる大好きな花がある。金平糖を散らしたようなミゾソバだ。

by 江副 直樹

春のヤマメ釣りに始まった川通いは、鮎の納竿を持ってその幕を閉じる。3月から数えて7ヵ月強。毎年、半年以上に亘って、川を想い、釣りに遊び、魚と戯れる。しかし、いざオフになったら、きれいさっぱり川から釣りから遠ざかる。このパターンをもう40年続けている。

by 江副 直樹

名前はもちろん知っていた。伊達に釣り人はやっていない。球磨川の上流部、鮎で著名だが、釣り仲間たちからは本流でヤマメのライズがあると聞いていた。もっとも、基本遠征をしないので、他人事のように眺めていただけだった。それが突然我が事になりそうな展開。

by 江副 直樹

ずっと釣りが本業とうそぶいてきた。ヤマメのフライフィッシングは今季が39年目。鮎の友釣りは、今季が13年目。一生幸せになりたければ釣りを覚えろと喝破した中国の古諺を引き合いに出すまでもなく、釣りを知らない人よりはきっと幸福なんだろうと思っている。

by 江副 直樹

五月の陽光が熱を強めて行き、初夏の陽射しが勢力を高める頃、出鼻をくじく梅雨が訪れる。ヤマメ釣りを存分に楽しんでのち、夏最大のエンターテイメント、鮎の友釣りが5月下旬に解禁になる。満を持して、長竿を担ぎ、流れに立ち込み始めると、嗚呼入梅の知らせ。

by 江副 直樹

鮎、福島へ。

2019.6.30

東日本大震災から5年が過ぎた頃、福島県のブランド推進課の皆さんが、日田を訪ねて来られた。曰く、ようやく本来の仕事に戻れますと。この未曾有の災いに関しては、日本中が胸を痛めたが、かと言って何をすればいいのか、途方に暮れた方が大半だったに違いない。

by 江副 直樹

真夏の耽溺。

2019.6.12

鮎釣りを始めたのは、次男が生まれた翌年だからもう13年目になる。それまで、春から秋まで、ヤマメのフライフィッシングに現を抜かしていたが、渓流で鮎釣り名人に出会ったのが運の尽き。まったくタイプの異なるこの釣りのいろはを習って、瞬く間に没入した。

by 江副 直樹

オンとオフの僕なりの解釈については、少し前に書いた。僕の時間の使い方は、決して一般的ではない。カレンダーは見てはいるが、ことオフの取り方に至ってはもう好き勝手。世間の都合とは関係なく仕事をする反面、自由気ままに仕事を切り上げることは日常茶飯事。

by 江副 直樹

相棒の一足。

2019.3.28

いつ手に入れたか定かじゃない。10年はとっくに越えているはずだ。最初、アウトドア雑誌で見かけて興味を持った。それは使い古したよれよれの一品で、ソールの張り替えで甦る下りがあり、そのへたり具合がなんとも味があって、我が物としたくなった記憶がある。

by 江副 直樹

前の年の9月末、ヤマメが禁漁に入り、ほぼ時を同じくして、鮎は落ち始める。僕ら釣り人は、その寂寥感をもって冬の訪れを受け入れる。それまで、あれだけアタマとココロを支配していた魚釣りが、唐突に終わりを迎え、モードは強引にスイッチオフ。秋風が身に染みる。

by 江副 直樹

年末年始はどんな我が身にも訪れる。年の瀬の雰囲気に押されて、つい来し方行く末をおもんばかったりする。今年もいろいろ考えたり、思い巡らせたけれど、そのひとつに公私の距離というのがある。オンとオフについては、ここ20年くらいで随分心境の変化があった。

by 江副 直樹

ある日、野暮用でO君を訪ねた。東京から熊本の山間に移住し、いまは貸しコテージや薪販売、NPO運営などさまざまな活動を行っている。コテージと自宅がある広大な敷地。見渡す限りの山、山、山。この場所も山の上。絶景の中に暮らすってこういうことなんだ。

by 江副 直樹

時間金持ち。

2018.11.25

忙しいことが美徳とされる傾向がある。商いは、暇より忙しい方がいいに決まってるとの論拠。客が多く、仕事が多ければ、勢い忙しい。だから、忙しいは善。本当にそうか?短絡にも見える。半面の真理でしかないのではないか。時間をなくしてもいいのだろうか?

by 江副 直樹

ルアー開発。

2018.10.7

分野を特定しない仕事をしたくて、屋号をBunbo(分母)とした。これまで、多様な領域の分子とさまざまなプロジェクトを行ってきた。毎回ジャンルが違っても、コンセプトワークと戦略提案、そしてクリエイティブディレクションが主軸となる。ここはいつも同じ。

by 江副 直樹

節目というのだろうか。我が人生を戯れに振り返ってみると、およそ10年前後で大きな変化が訪れているような気がする。20歳で大学を辞め、30歳でコピーライターになり、40歳で会社をつくった。50歳でプロデュース専業になった。僕はもうすぐ63歳になる。

by 江副 直樹
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

by EZOE naoki

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