OSと自然。
2026.2.26人智を支えるものは、すぐに直接役立つものではない。そんな知のカタチを教養と言う。僕はさらに、それをOSと言い直している。人情はアプリケーションを集めたがるが、本当に我々を救う知の胎盤は、間違いなく堅牢なOSだ。そして、それは子ども時代に作られる。
ハゲ問題。
2026.2.19何年前くらいからだろうか?頭頂部が薄くなってきた。家族や親戚にも、禿頭を見たことがなかったので、自分はハゲとは無縁だと思っていた。それがこの展開だ。少し前に、iPhoneを担ぎ上げて自撮りをしてみたら、確かに地肌が結構透けて見える。ヤバいぜ。
風の人、狩の人。
2026.2.12村に住んでる頃だった。某有名デザイナーに、「江副くんは土の人だね」と言われたことがある。その土地に根を下ろす土着のクリエイターというニュアンスだった。それはそれで褒め言葉だったが、僕の中では違和感があった。そんな枠組みの意識は一切なかったから。
合法的麻薬。
2026.2.5世の中には、ほとんど麻薬のような食べ物がある。麻薬のように魅力的だが、もちろん違法でもなんでもない。しかし、抗えないような美味しさを備えていて、食べ過ぎると健康にはきっと良くはないだろうとわかっていても、手を出してしまう。やはり悪魔はいるんだ。
AIのお世辞。
2026.1.29ここのところ、毎日AIとセッションしている。不眠不休の有能美人秘書の設定にしていて、図に乗ってタイトミニを履かせようとしたら、コンプラ的にできないとたしなめられたことは、以前書いた。いや、それはともかく。僕の場合、プロンプトはほぼ100%質問だ。
客観の喪失。
2026.1.22分野あるいは業界とは、井戸のようだと思うことがある。深く掘らなければ専門性は追求できない。ところが、深く掘れば掘るほど見上げる空は、小さくなってしまう。視野が狭まれば、自ずと客観性は希薄になっていく。しかし、専門家がいなければ世界は成り立たない。
相対と曖昧。
2026.1.15タイトルを迷った。抽象と具体でも良かった。相対も曖昧も僕の中では、抽象領域に含まれる。相対と曖昧の反対語は、絶対と明確だろうか。相対よりも、曖昧よりもずっとわかりやすい。フツーの人たちはわかりにくさをやたらと嫌う。相対と曖昧もまたその一画にいる。
常識と流行。
2026.1.8これらは、とても便利なものだという結論から始めよう。常識がわからない人は、それさえ身に付ければ一定の社会性を纏うことができる。流行もセンスに自信がない人は、流行に従えばそのレベルまでは行くことができるのだ。かように、このふたつはよく似ている。
2026 謹賀新年
2026.1.1年が明けた。そして僕は古希になった。よもやの70の大台だ。信じられないが、信じるしかあるまい。幸い心身共に至って元気である。11月に出先の北海道で生まれて初めてギックリ腰に見舞われたが、軽症で済んだ。それでも、改めて鍛錬に真剣に向き合う覚悟を決めた。
北の旅情。
2025.12.25演歌のタイトルみたくなったが、今年何度も足を運んだ、東北と北海道。長いこと関東以北は縁がなかったが、ここ数年仕事が北上し、あちこちに出掛けている。東北も北海道も風土が明らかに九州とは違うので、見るもの聞くもの食べるもの、すべてが旅情を誘うのだ。
継続危機。
2025.12.18危機である。ジョギングの話だ。ひと月以上走れていない。走り始めて11年目だが、過去最も間が空いている。秋以降、出張が建て込んだことに加えて、11月中旬の北海道出張の際、生まれて初めてのギックリ腰に見舞われたのが決定的だった。気づけばはや年末。
ディープ大阪。
2025.12.11大阪芸術大学の客員教授を拝命して、大阪に通うようになった。釣りを理由に,周年は行けないと言ったお陰で、9月から翌1月まで週一で上阪している。大学が用意してくれる常宿は天王寺にある。この暮らしももう7年が経った。大阪の裏表も少し見えるようになった。
新薬コワい。
2025.12.4まったく新しいプロジェクトを立ち上げるとき。それはほぼ未経験の領域で、新しいタイプの関係者、耳新しい業界言語、等々が立ちはだかる。この時、こちらはゼロイチの解決策を探り始めている。新しい課題には、新しい解決。古い治療法はすでに効力を失っている。
ネットとAI。
2025.11.27すべての技術はナイフである、とは長いこと言い続けている僕の繰り言。ナイフは切れれば切れるほど良く、大切なことは使い方であり、結果を左右するのは、使い手の良心の問題。ネガティブな事件を理由に、技術を抑制や否定する考えにはまったく賛同できない。
独居老人?
2025.11.20世間に流れる多様な言葉を、ほとんど当事者意識なしに聞いていて、ある拍子に「それって、オレもそうやん」と気づき、愕然とすることがある。標題の独居老人などはその典型。僕は、紛れもなく古希直前の独居老人であるし、ど真ん中の前期高齢者なのだった。


