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遊びをせんとや生まれけむ。のフレーズがあったのは、梁塵秘抄だったか。僕を含めて、わが遊びの肯定にしばしば引き合いに出される。編纂したとされる後白河院の真意はともかく、言い訳ではなく遊びの意義については、いまも変わらず強弁したくなることがある。

遊びの本質のひとつは、生産性の無さだと思っている。通常の経済観で言う、貨幣価値には転換できない。一般には、それをもって評価を下げる、あるいはしない傾向にある。まったくつまんない。経済的価値がなければ、存在や実行の意味がないということなのだろうか。これって、このブログでも度々触れる、教養やOSの軽視に哀れなまでに付合する。
今一度、繰り言にお付き合いいただくと、教養より専門、OSよりアプリ、さらには科学の基礎より応用、スポーツも基礎より技術をありがたがるのは、近代日本の弱点だと思っている。遊びとは、教養、OSの貴重な栄養なのだ。その因果関係に気づかないようでは、この国の未来は暗い。大いなる無駄は、慈母の胎盤。そこには新たな知と命が育まれている。

今日もなにも生産しなかった。それがどうした?

by 江副 直樹 2023-6-6 10:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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