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少年の心を持ったとか、永遠の少年とか、天真爛漫な純粋さを失わない大人の男への褒め言葉がある。良く言えばそうだが、一向に社会的成熟が身につかない連中のことでもある。そしてあるとき気づいた。自分の周りにいる愉快な大人たちは、大半がこの類なのだ。

by 江副 直樹 

学校と名が付く場所には、いくつか行った。一方的な私淑もあるが、専門性については、そのノウハウを手取り足取りという経験はない。さらにデザインなどは、誰にも習っていない。つまり、明確な師匠と呼べる人物はひとりとしていない。振り返ればすべて独学。

by 江副 直樹 

月光の訪れ。

2025.1.13

自宅の周辺は、夜は闇に包まれる。境内横の古い住宅地は、外灯の類も最低限でわずかな明かりを放つだけ。初夏のホタルもだからこその美しさ。静けさとも相まって、とても穏やかな佇まいが気に入っている。中でも、満月の時などはさらにその風情が深まるのである。

by 江副 直樹 

OSの統合。

2025.1.7

あらゆる方法とそれを実践する組織、さらにそれらが集う業界は、必ず経年劣化を起こす。時が動いている以上、これは宿命だ。かのダーウィンも、生き残るのは強者ではなく、変われる者だと言った。つまり、不断のアップデートを続ける者だけが変化に適応する。

by 江副 直樹 

年が明けた。69歳になったが、相変わらず元気だ。いまも疲労を感じることはあまりない。昨夕も走り納めをしてきた。ひとりで迎える2年目の正月。朝、ビールを飲みながら雑煮を作り、美味しくいただいたら、百段階段を上がって、参拝をし、干支の置物を買おう。

by 江副 直樹 

気づけば師走。たちまち年末。もう数日で僕は69歳になる。1年後にはなんと古希。信じられない。同世代はすでに現役を退いている方々も多いなか、僕はいまも新しいプロジェクトが着実に起こって、今年も西から東まで、日本中を飛び回った。ありがたき幸せ。

by 江副 直樹 

挨拶の距離。

2024.12.18

出張時を除けば、毎朝散歩をする。眼前の百段階段を上がって、境内を抜け、後は気分の赴くままに、あっちへフラフラこっちへフラフラ。およそ30分程度の逍遙なのだが、ジョグのない日や週末は、少し脚を伸ばすことも度々だ。そこで面白い感覚を味わうことがある。

by 江副 直樹 

初冬の錦絵。

2024.12.12

秋が遅かった。今年ほど紅葉の進行がゆっくりだったことはない。11月上旬、毎年通う大分県庄内町の男池の森に出かけた。噂通り、木々の色づきはさっぱりだった。過去こんな状況は経験がない。暑い夏が長引いて、秋が短いなどという声も聞こえた。もはやこれまでか。

by 江副 直樹 

訳せば、守備的ということになる。仕事の仕方のことだ。何度も言っているので、自分でも半ばウンザリしているが、度々類似の状況が現れるので、またぞろ繰り返すことになる。関係者の関心が、なぜか攻撃より守備に集中してしまう、後ろ向きな志向の愚かさと滑稽さ。

by 江副 直樹 

柿豚料理会が始まったのはいつだったか。いまはおぼろだが、僕ら家族が宝珠山村(現東峰村)に暮らしていた頃、そこで出会った若松亮太くんがきっかけだったと思う。共同通信の記者という本業と、地味な風貌からは想像もつかない過激な料理人。すべての始まり。

by 江副 直樹 

恐竜は、自分たちが滅びることをどれほど自覚したのだろうか?強大な種となって、天敵もおらず、わが世の春を謳歌していたのだろうか?話は恐竜にとどまらない。あらゆるヒト、モノ、コトが同様の道筋を辿る。変化は目に見えず、、多くはそれに気づかない。

by 江副 直樹 

調べてみたら、初回は2015年の1月だった。大阪との繋がりが深まっていた頃で、全国でも珍しいクリエイター支援施設のメビックで、新しい講座を受け持つことになった。僕のプロデュースについてお話しする、なんと5週連続講座。そんなこと聞きたい人がいるのか?

by 江副 直樹 

水玉LOVE

2024.11.12

水玉が好きである。英語で言うとpolka dots。いつの頃からか、水玉柄のシャツを好むようになった。高校時代からトラッド熱に浮かされ、ファッションにハマりすぎて、数年後には突然ウンザリして、作業着やパジャマで過ごしていた時期もある。熱病のような変遷。

by 江副 直樹 

移動の時間。

2024.11.6

コロナの収束後、またぞろ移動が増えてきた。リモートはそれはそれで定着しているので、要は仕事の総量が増え、現場が遠方に広がっているということだろう。戯れに、今年1年の外泊数を数えたら、59泊。ほぼ2ヵ月じゃないか。調べたら、昨年より20泊増えていた。

by 江副 直樹 

仕事が北上している。昨夏、未踏の新潟に呼ばれたのが始まり。入り口は長岡市だったが、いつの間にか国立長岡技術科学大学のプロジェクトに深入りすることになった。今年7月には、その関係でやはり初の秋田へ行った。今月は別件でお隣の青森へ足を踏み入れた。

by 江副 直樹 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

by EZOE naoki

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