tag:考察
伝える作法。
2024.6.20この世はすべてコミュニケーションだ。繰り返される膨大な意思疎通が、僕らの日々を作っている。家族で、地域で、仕事で、果ては外交で、多様で夥しいコミュニケーションを続けている。伝達、提案、交渉、説得と、その目的によって、精度と強さが変わってくる。
無手勝流。
2024.6.13独学について考えることがある。一般には、いわゆる正統な、体系立った知識やノウハウを学んで、人は新たなスキルを身に付ける。当初は、広大無辺なそもそもの対象への理解や、必要なスキルの修得のきっかけさえ見つからない。となれば勢い師匠を探すことになる。
一木一石。
2024.6.7木を見て森を見ず、とは、視野狭窄や全体観の欠落を戒める名言だが、これは部分と全体の因果関係の重要性を諭す至言でもある。森の一木が、その森の風のあり方を決め、川の一石がその川の流れを決める。1本の木の植え方、1個の石の置き方が与える影響について。
11年目のウサギ。
2024.6.1数日前の午後。いつもの尾根道をジョギングしていた。例によって、復路の上りを喘ぎながら走っていると、視界の左端に小さな動くもの。地を跳ねる鳥かと思ったが、挙動が少し違う。近づいていくと、なんと野ウサギだった。しかも子ども。ついに見つけた、と思った。
僕の中のDX。
2024.5.2名刺なんかに普通に書いてある、固定電話とFAX番号。僕も名刺にも、HPにも入れているが、いまどれくらいの人が使っているのか。そんなことを改めて考えたら、無性に不要な気分が募って来て、まずすぐに変えられるHPの記載を外すことにした。だって要らないもん。
便利の度合い。
2024.4.12愛車smartがぶっ壊れた。その理由や回復の目処については、ここでは割愛することにして、お題はやって来た代車にまつわる喜劇について。どんな代車がやって来るかは、もう巡り合わせ。ディーラーに預けるときは、一生乗ることのない豪華なベンツが来たりする。
狩猟の民。
2024.3.13生き方のタイプや人のキャラを言い分けるのに、狩猟型か農耕型という表現がある。前者は縄文的で、後者は弥生的といった線の引き方もあるだろう。僕自身は、縄文的な狩猟型の方に少なからぬ魅力を感じていて、若い頃はそんな人生を生きたいとボンヤリ思っていた。
脱YOU TUBE。
2024.2.24その時は突然やって来た。ずっとモニター上に出しっぱなしだったYOU TUBEのタブを閉じた。毎日毎日、実にさまざまな動画を観ていた。釣り、サッカー、料理、格闘技、お笑い、トーク、などなど。それはもう息抜きを超えて、膨大な時間を費やしていたと思う。
野暮こそ重罪。
2024.2.18貧乏は我慢できるけど、貧乏臭いのは許せないという言い方がある。とても腑に落ちる。誰もが心の奥底ではカッコ良くいたいとか、美しく生きたいと思っているはずで、ダサいのはいかにもイヤなのだ。僕の解釈では、ダサいと野暮はほぼ同義。野暮はいかんよ、野暮は。
無常について。
2024.2.6所詮一瞬だと思っている。いや、わが人生のことだ。薄っぺらい人生観の根底にそんな気分が確かに潜んでいる。それは今に始まったことではない。10代の終わりの混沌の中で、もがき苦しんだ挙げ句に掴んだ予感のような、諦観のようなもの。ただ、厭世感とは違う。
ジョグの翌日。
2024.1.25基本、1日おきに走っている。距離も3〜4kmだし、比較的ゆっくりなので、大したことはない。少しきつめの散歩と言ったところ。この秋には10年目に入るから、すっかり日常化した感じ。元来怠け者だから、ホントは楽したいが、コンディション維持には不可避なのだ。
当たるも八卦。
2024.1.13数字にからきし弱い。算数から数学に移行するあたりで、つまずいたことが最大の原因のような気もするが、生来の向き不向きも当然あると思う。いまもExcelを見ると軽い吐き気に襲われることがある。近ごろ話題の生成AIは、この弱点を補完してくれるに違いない。
役立たず。
2024.1.7これは何かの役に立つか否か。そんな視点で物事を眺めている人は多いだろう。それが余りに露骨になると、打算と蔑まれることもあるかも知れない。あるいは、無駄の排除。興味深いのは、何を無駄と思うかだ。この取捨選択が、人生を厚くもすれば薄くもする。
失敗の話。
2023.12.24あちこちでレクチャーなんぞをする。そこではほぼ必ず質疑応答の時間が用意される。話した内容を深掘りする、聞き手にも話し手にも意義ある時間だ。それはいいのだが、ごくたまに答え辛い質問も投げられる。曰く、成功した話じゃなくて、失敗談をぜひ聞きたい。
プロモに堕する。
2023.11.27ブランディングという考え方が広まって、もうしばらく経つ。全国各地の自治体にも、ブランド推進課といった地域のブランディングを掲げたセクションが生まれた。僕自身も言葉としてのブランディングは、比較的使う。もちろん、流行に乗りたいわけでは決してない。