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映画のように。
2023.10.13いやなに、仕事の仕方についてである。僕の会社ブンボは株式会社だが、経理作業を除けば基本ひとりでやっている。アシスタントがいたこともあったが、毎日出社してもらうようなことでもなかったし。結局、コピーライター時代のフリーランスと何ら変わっていない。
関係を作る。
2023.9.19この世はすべて、目に見えるものと見えないものでできている。前者を具象と言い、後者を抽象という。見えるものだけでそれらを解釈し、説明しようとすると、表層をなぞらざるを得ず、当然本質から遠ざかることになる。ありとあらゆるものにこの構図は付いて回る。
旧メディア凋落。
2023.9.13時代は変わる。刻々と、確実に。テクノロジーの進化は、そのめまぐるしさにおいて、驚愕の一途。かたや、人の営みは何万年も、それほど大きな変化はない。古今東西、食べて、働いて、子孫を残す。変わるものと変わらないもの。不易流行とはこのことだろう。
抽象的仕事。
2023.9.7プロデュース。わかりづらい仕事のようだ。チームスポーツの監督に喩えたり、オーケストラの指揮者になぞらえたりするが、そこで膝を打つ人はそんなにいない。過去の実績を知って、ボンヤリ納得していただくことが最も多いだろうか。見えるのはそこだけだから。
ジョグ9年目。
2023.9.1同じことの繰り返しやコツコツが苦手。と思い込んでいたが、振り返ってみると意外とそうでもない。特に日常生活においては、かなりのルーティンが支配している。まず、朝の散歩は村時代からだから、もう20年以上になる。そしてジョグ。早くも9年目に突入した。
和を以て貴し?
2023.8.26このブログは、基本時事ネタは扱わない。時間が経って読んだとき、意味が通じないのを避けるためだが、例外もある。最近、広島県安芸高田市の石丸市長対議会の対立が話題になっている。僕もYOU TUBEで何度か拝見したけれど、過去ここまでの衝突は見たことがない。
大衆受けの罠。
2023.8.12面倒を取り除けば、コトはわかりやすくなる。一番大事なところこそ面倒が伴っている。これはもう古今東西の世の理。社会に対して、新しいメッセージを持っている人は、当然その核心を伝えたいと考える。ところがここが最も難しい。歴史に実例はいくらでもある。
罪深きは弱さ。
2023.8.6優しい社会は優しさでは作れない。僕が良く言う繰り言。強くなければ優しくはなれない。と続く。今日8月6日は、広島に原爆が落とされた日。3日後には長﨑にも同じ悲劇が刻まれた。疑いのないホロコースト。しかし、なぜそんな状況に陥ったのか。50年前の衝撃。
蔵書が溜まる。
2023.7.31好奇心が抑えられない。関心のあるテーマが夥しい。勢い深掘りしようとするわけだが、いまや情報源は誠に多様になった。オーソドックスな書籍を始め、電子図書、YOU TUBEなど、渇望を癒す文字や画像が簡単に手に入るありがたき時代。しかし、追い付かない。
螺旋的上昇。
2023.7.19あるいは螺旋的下降。豊かさと言われる暮らしの中身の話である。恐らく歴史の年表のせいだと思うのだが、太古の昔から現在に至るまで、ずっと直線的に進歩し、豊かになってきたと思いがちだ。僕は以前から、この感覚に違和感がある。本当に進んでいるのか?
手続きに陥る。
2023.7.13それまでの手法が通じなくなる。新しい領域に踏み出さなければ先がない。つまり、それまでのやり方を改めなければ、現状打破は難しい局面。時が経てば変化が起こる。変化には自らをアップデート、更新で対応することになるが、ここにマニュアルの限界が現れる。
普遍で本質。
2023.6.23身上らしきものがあるとすれば、染まらないこと。と答える。人にも、土地にも、組織にも、時代にも染まらず、常に自分自身を保っていたいと強く思っている。刺激を受けることはあるだろう。一時的に影響を受けることもないとは言わない。しかし、しかしである。
教室にて。
2023.6.18長く教えているデザイン専門学校の授業は、雑談余談を重視している。柱は、いくつかのテーマに沿った僕の仕事のケーススタディなのだが、切りが悪く間が空いたりすると、迷わずそんな時間になる。入り口は枠をはめない質疑応答。なんでもありというのがポイントだ。
遊びの先に。
2023.6.6遊びをせんとや生まれけむ。のフレーズがあったのは、梁塵秘抄だったか。僕を含めて、わが遊びの肯定にしばしば引き合いに出される。編纂したとされる後白河院の真意はともかく、言い訳ではなく遊びの意義については、いまも変わらず強弁したくなることがある。
原石のまま。
2023.5.31あと2年半ほどで古希を迎える。ここへ至って初めて得る資格というものがあるような気がしている。つまり、過去を振り返る資格。昔話に埋没するのは、未来の見えなくなった老人の哀れだが、経験の中から普遍や原則を紡ぎ出すのも老人ならではの責務かと思われる。