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常識と流行。
2026.1.8これらは、とても便利なものだという結論から始めよう。常識がわからない人は、それさえ身に付ければ一定の社会性を纏うことができる。流行もセンスに自信がない人は、流行に従えばそのレベルまでは行くことができるのだ。かように、このふたつはよく似ている。
新薬コワい。
2025.12.4まったく新しいプロジェクトを立ち上げるとき。それはほぼ未経験の領域で、新しいタイプの関係者、耳新しい業界言語、等々が立ちはだかる。この時、こちらはゼロイチの解決策を探り始めている。新しい課題には、新しい解決。古い治療法はすでに効力を失っている。
ネットとAI。
2025.11.27すべての技術はナイフである、とは長いこと言い続けている僕の繰り言。ナイフは切れれば切れるほど良く、大切なことは使い方であり、結果を左右するのは、使い手の良心の問題。ネガティブな事件を理由に、技術を抑制や否定する考えにはまったく賛同できない。
独居老人?
2025.11.20世間に流れる多様な言葉を、ほとんど当事者意識なしに聞いていて、ある拍子に「それって、オレもそうやん」と気づき、愕然とすることがある。標題の独居老人などはその典型。僕は、紛れもなく古希直前の独居老人であるし、ど真ん中の前期高齢者なのだった。
事務的IQ。
2025.11.13いわゆる知能指数、IQというのがある。能力というのは、さまざまな分野で優劣が存在する。例えばサッカーIQなどと呼ばれたりする。その伝でいけば、事務作業についても事務的IQとやらがあっても良さそうだ。数字を操り、Excelを使いこなし、書類を作るスキル。
週末の静寂。
2025.10.31日々が慌ただしい。打合せ、会議、日帰りから数日を要する出張。本来起点となる企画やフィニッシュワークとしてのコピーワークは、必然的にその間に押し込められる。鳴り響く電話というのは、すでに前世紀的表現だとしても、メールやSNSの連絡はひっきりなしだ。
すべては属人。
2025.10.17永い間、いろんな所でいろんな仕事をしていると、ますます強まる確信というものがある。直接的な方法論もそうだけど、世の理というか、巷の掟というか、そうか世の中ってそうなんだとか、人ってこうなんだなあ、なんて合点が徐々に積まれていくのである。
新幹線スキル。
2025.8.30来月からまた週1の大阪通いが始まる。大阪芸術大学で、デザインプロデュースという新しいテーマを教える羽目になって、早7年目。移動は新幹線だが、9月から1月まで、都合15回ほどなので、100回以上は往復していることになる。予約の取り方も随分上手くなった。
作法を選ぶ。
2025.8.10永いこと釣りをしている。ヤマメのフライフィッシングとアユの友釣り。どちらもかなりマニアックな釣法だ。それぞれ専用の道具立てと出で立ちがあり、エサを投げ込んで、ボンヤリ待っている釣りとはまるで違う。ビギナーにとっては、ハードルは明らかに高い。
時々間が空く。
2025.8.42006年の3月からブログを書いている。もうすぐ20年だ。エキサイトブログから始めて、569本の記事を書いた後に、オリジナルに変更、現在までにそちらで1168本。よく書いたものだ。当初は2日に1度。それが3日になり、いまは1週間に1度だが、度々遅れる。
領域の再編。
2025.7.29慣れ親しむこと、ルーティンを織り交ぜていくことが、安定した日常を創る。昨日と今日が同じだったように、明日も同様に訪れることを、多くの人たちが願っている。そういう振る舞いや作法、感覚や意識を習慣や常識と呼んでいる。言わばそれは本能のカタチなのだ。
質と量の話。
2025.7.23忘れた頃に、またぞろ浮かび上がって来るこのテーマ。主に仕事領域で対峙することが圧倒的。遊びなら、こんなこと考えること自体が野暮だから。でも仕事なら、限られた時間と予算のなかで、最善パフォーマンスを考えるときは、厭でも考えざるを得ない。
脂身を喰らう。
2025.7.17脂身が好きである。子どもの頃、オヤジが食べていたステーキの脂身を貰うのが楽しみだった。近ごろは、豚肉を食べることが多いのだが、脂身の多いしゃぶしゃぶ用を特に好んでいる。これをシンプルにソテーして、自作のアオサ塩でいただく。これが非常に旨い。
与件に塗れる。
2025.7.11まみれると読む。与件とは、すでにそこにある現状のこと。僕の繰り言のひとつに、世のいい企画はすべて前提をいじっている。というのがある。現状とそこに至る経緯の説明を受けて、なんら遡ることなくそのまま新たな穂を継ごうとするなんて、革新とはほど遠い。
自然の端っこ。
2025.7.5できるだけ自然の近くで、日々を暮らしたいと思ってきた。四半世紀前からは実践もしている。いま居を構える日田市は、九州北部の臍のような盆地。Googleアースで見ると、まさに緑の山々に囲まれた小さな町。わが家は、その市街地の端っこに位置している。


