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それでも暮れる。
2021.12.26もう1年と10ヵ月ほど飛行機に乗っていない。最後に東京に行ったのは、2020年の2月の終わり。パンデミック前夜。それから早2年が経ったつい先週、大阪芸術大学から対面授業に切り替える旨の連絡を貰い、久々のキャンパスへ足を踏み入れた。マスク越しの再会。
感度だよ感度。
2021.12.20結局はそこ、感度なんじゃないか。見えているもの、聞こえているもの。あるいは見えない何か、聞こえない何か。それらも感じて、この世界は成り立っている。人生の喜怒哀楽は、詰まるところ解釈で決まると思うんだけど、どうだろうか。そう、どう感じるか。
錦絵を踏む。
2021.12.13秋が終わった。残暑の熱が冷めて、風は吹くたびに温度を下げ、鮎釣りの炎熱が遠い幻のように思えてくる頃。木々の葉は、日毎にその色を変えていく。ハゼが筆頭で、次いでモミジか。イチョウが黄色味を強めると秋はすっかり深くなっている。遂には、落葉の始まり。
夜更けのUFO。
2021.12.6正し過ぎるのは怪しい。過日、教えている専門学校の新カリキュラムの打合せで、ソーシャルデザインの印象についての某教師の至言。近ごろのTVなどに散見する執拗に邪悪を排除しようとする幼稚な潔癖症も同様。すべてのクスリは、本来毒だったんじゃないの?
世間がやっと。
2021.11.24世に言う田舎暮らしは、すでに20年を超えた。九州以外に住んだことがない。と言うと、ずっと出身地の地元にいるようだが、いま住んでいる大分県日田市には、縁もゆかりもない。釣り場に近いステキな田舎に住みたかった。それだけ。日田の前の東峰村も理由は同じ。
標高150m。
2021.11.18良く山を登っている。と言うと、まるで頻繁に登山をしているようだが、さにあらず。そこは、大原山と名が付いているので、間違いなく山を登ってはいるものの、地形としてはほぼ「丘」に近い。標高で測れば、わずか150mの盛り上がりに過ぎない。でも、山なのだ。
ヤブクグリ10年。
2021.11.122021年11月14日。午前10時、三隈川に浮かぶ中之島公園で、THININNG in 日田が開幕した。THININNGは、福岡糸島を拠点とする林業を考えるグループ。THININNGとは間伐の意。僕らヤブクグリと同様に、日本の森を少しでも良くしたいと活動している仲間だ。
歩いたねぇ。
2021.11.63日間で28km。歩きも歩いたり。こんなに歩いたことは、過去に経験がない。お仕事である。九州自然歩道の宮崎ルートの一部を歩き、感じたことをお伝えしたり、今後の利活用などを考えるというお題だ。エキスパートに交じり、なぜか僕も参加することとなった。
山の宴再び。
2021.10.31大分は豊後大野の山奥で、釣り仲間と絶品お寿司を堪能した翌週。今度は、九重町の標高1000mの旅館の庭で、創作イタリアンに浸る夜を迎えた。こちらは、ここのえ低山部の夏のお約束。今年は時季が少しずれたが、相変わらずの贅沢三昧。もう、この人たちったら。
美について。
2021.10.19僕らの日常は、判断と決断の連続。人生を決定する一大事から、極々些細なことまで。大きいか小さいか。深いか浅いか。高いか低いか。熱いか温いか。美味いか不味いか。キツいかラクか。高いか安いか。損か得か。カッコ良いかカッコ悪いか。美しいか醜いか。等々。
開かずの扉。
2021.10.13衣食住。人の営みをそんな風に言うことがある。纏うことも、食べることも、住まうことも、そしてそれ以外の膨大な些事を含めて、その様を生活とか暮らしとか呼んでいる。毎日やることは、首を傾げるほど色々あって、なんとなく気ぜわしく過ぎて行く。
文章作法。
2021.10.7気づけば、売文稼業の末席。10代の終わりには、詩を書いて生き延びられたらと考えたこともあった。子どもの頃から、作文は苦ではなかった。言霊などと言うが、文章もまた面白いものだ。誰も知る字句の組み合わせなのに、見たことのない世界や次元が現れる。
トマトの夏。
2021.10.1わが家には、畑がある。小さな小さな極小農園。名を一畳農園という。文字通り、畳一枚ほどの広さしかない。村暮らしの頃は、10坪ほどの畑を借り、時には耕運機まで走らせて、数種の野菜を育てていたから、それに比べればまったくの猫の額。ところがどっこい。
思索に耽る。
2021.9.25人間は考える葦である。ブレーズ・パスカルはそう言った。フランスに生まれた、数学者、自然科学者。早熟の天才の至言。人間は、思考以外の特徴は、その辺の雑草と変わらない。考え続けることだけが、人の人たる所以。ただ、なぜそうなるかもいまだわからず。
ついに7年目。
2021.9.19この9月で、ジョギングは7年目に突入する。まさかの7年目。こんなに続くとはね。昔から、ランニングと登山は大嫌い。もちろん、部活で毎日走っていたり、探検と称して北九州の山を走り回っていたことはある。でも、長じてそこに楽しさを見出せなくなっていた。