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tag:暮らし

月光の訪れ。

2025.1.13

自宅の周辺は、夜は闇に包まれる。境内横の古い住宅地は、外灯の類も最低限でわずかな灯りを放つだけ。初夏のホタルもだからこその美しさ。静けさとも相まって、とても穏やかな佇まいが気に入っている。中でも、満月の時などはさらにその風情が深まるのである。

by 江副 直樹

年が明けた。69歳になったが、相変わらず元気だ。いまも疲労を感じることはあまりない。昨夕も走り納めをしてきた。ひとりで迎える2年目の正月。朝、ビールを飲みながら雑煮を作り、美味しくいただいたら、百段階段を上がって、参拝をし、干支の置物を買おう。

by 江副 直樹

気づけば師走。たちまち年末。もう数日で僕は69歳になる。1年後にはなんと古希。信じられない。同世代はすでに現役を退いている方々も多いなか、僕はいまも新しいプロジェクトが着実に起こって、今年も西から東まで、日本中を飛び回った。ありがたき幸せ。

by 江副 直樹

挨拶の距離。

2024.12.18

出張時を除けば、毎朝散歩をする。眼前の百段階段を上がって、境内を抜け、後は気分の赴くままに、あっちへフラフラこっちへフラフラ。およそ30分程度の逍遙なのだが、ジョグのない日や週末は、少し脚を伸ばすことも度々だ。そこで面白い感覚を味わうことがある。

by 江副 直樹

訳せば、守備的ということになる。仕事の仕方のことだ。何度も言っているので、自分でも半ばウンザリしているが、度々類似の状況が現れるので、またぞろ繰り返すことになる。関係者の関心が、なぜか攻撃より守備に集中してしまう、後ろ向きな志向の愚かさと滑稽さ。

by 江副 直樹

恐竜は、自分たちが滅びることをどれほど自覚したのだろうか?強大な種となって、天敵もおらず、わが世の春を謳歌していたのだろうか?話は恐竜にとどまらない。あらゆるヒト、モノ、コトが同様の道筋を辿る。変化は目に見えず、、多くはそれに気づかない。

by 江副 直樹

水玉LOVE

2024.11.12

水玉が好きである。英語で言うとpolka dots。いつの頃からか、水玉柄のシャツを好むようになった。高校時代からトラッド熱に浮かされ、ファッションにハマりすぎて、数年後には突然ウンザリして、作業着やパジャマで過ごしていた時期もある。熱病のような変遷。

by 江副 直樹

移動の時間。

2024.11.6

コロナの収束後、またぞろ移動が増えてきた。リモートはそれはそれで定着しているので、要は仕事の総量が増え、現場が遠方に広がっているということだろう。戯れに、今年1年の外泊数を数えたら、59泊。ほぼ2ヵ月じゃないか。調べたら、昨年より20泊増えていた。

by 江副 直樹

9月から1月にかけて、週1で大阪に通っている。もう6年ほど大阪芸術大学で客員教授をしているからだが、水曜日の朝に家を出て新幹線で上阪。新大阪から地下鉄や私鉄を乗り継いで大学へ。授業が終われば、大学が用意するホテルで1泊。翌木曜日午後、日田に戻る。

by 江副 直樹

雑談と行間。

2024.10.18

効率化などと言う。合理化などと言う。なにかの目的に向かって、直線的な最短距離を進むことを指す。成就への無駄を排する作法を意味している。言外に、カネにならないことは、極力削っていこうという心根が見え隠れする。その先に期待されるのは、果たして?

by 江副 直樹

温泉会議。

2024.10.12

毎日のように会議をしている。また、年間9ヵ月は、週一ペースで専門学校や大学の教壇に立っている。どちらも、努めてリラックスをして、できるだけ笑いが絶えない楽しい会議や授業を心掛けている。なぜなら、そのほうが頭脳も感覚も良く働くと考えているからだ。

by 江副 直樹

そんな言葉があるかどうか知らない。あちこちでいろんな仕事をしていると、時々出会うあるタイプの方々。とにかくリスクを減らそうとする。不安に抗しきれず、その払拭が行動の最上位に来る。言わば、ノーリスク信仰の敬虔な信者。あるいは成熟社会の重篤な現代病。

by 江副 直樹

登山とランニングは、大嫌いだとずっと公言している。どちらも苦行としか思えない。魚釣りなら、ヤマメにしてもアユにしても、追いかけているうちに、想像以上の身体的負荷を受け入れるのに、目の前に美味そうなニンジンがないと、途端に意欲が失せてしまうのだ。

by 江副 直樹

今度の正月で、僕は69歳になる。年齢だけ見れば、紛うことなき高齢者。正真正銘のじいさんだ。さらに翌年は、当たり前だが。70歳。古希。この僕が70歳とは!にわかには信じがたいが、間違いなくそうなのだ。その時僕は、いったいどんな風景を見るのだろう?

by 江副 直樹

息子の帰郷。

2024.9.18

長男が2年振りに日田に帰って来た。友人たちに、大分や日田、福岡で会うその間に、一夜とその翌昼まで一緒に過ごした。この冬で24歳になる息子は、いつの間にかまた少し背が伸びて、オシャレにも個性が見えてきて、相変わらずいろんなことを考え続けていた。

by 江副 直樹
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

by EZOE naoki

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