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詩は聞こえるか?
2022.6.1310代の終わり、詩人になりたいと思っていた。詩を紡いで生きていけたら、どんなに素晴らしいだろう。しかし、食べて行くのが容易ではないことは少年にもわかる。芸術家とは職業ではない。それは生き方の形容だ。ほどなくそう気づいた。僕はどう詩と向き合うのか。
夜明けに啼く。
2022.6.8今朝もホトトギスの聲が聞こえる。不如帰、時鳥の別名も。「目に青葉、山ホトトギス、初がつお」は、馴染みのある名句。啼き声を表現するに、トウキョウトッキョキョカキョクとかテッペンカケタカとか。白み始める早朝から帳が降りる夕方まで、延々と啼き続ける。
5月納竿。
2022.5.2642年目のヤマメ釣りのシーズンが終わった。いや、釣期自体は9月末日まで続くのだが、16年前に鮎の友釣りを始めて以来、僕は6月以降はさっさとフライロッドを片付けて、9mに及ぶ長竿に持ち替えて、長い年は10月の頭まで地元の川を渉猟する。これまた恍惚の日々。
護るか創るか。
2022.5.12ルールの話である。基準のことである。どこかの誰かが作ったものを後生大事に押し頂き、従順に守ることに専念するか、自ら生み出したものを広め、多くの他人がそれを取り入れ、スタンダードとなるか。この2択には、文字通り天と地の開きがある。あなたはどっち?
新旧の間。
2022.4.17PCを買い換えた。旧いMacbookAirから新しいMacbookAirへ。欲しかったのはスピードとパワー。それだけが新しくなれば、それで良かったが、そうじゃないところも更新されている。 USBポートは TypeAからTypeCへ変わり、電源を始め、すべてがそこに依存する。
近所付き合い。
2022.4.10人が集まればコミュニティができる。古今東西、それは同じ。バーチャルなSNSもまた明らかにコミュニティだろう。しかも、その内容を見ていると、想像以上に現実のご近所さんと相似型だ。多種多様な投稿の合間に、当たり前のように冠婚葬祭の情報が入ってくる。
爺は二度寝る。
2022.3.21草木も眠る丑三つ時。その前後、よほど疲労した日を除けば、毎晩のように覚醒する。いつの頃からか始まり、いまや習慣のようになった。その分、寝付きは早く、酷いときは20時台に酩酊が誘う睡魔に導かれて、ふらふらとベッドへ入る。これがもうやたらと気持ちいい。
2人の息子。
2022.3.7僕には2人の息子がいる。授かったのはずいぶん歳が行ってから。6歳違いなので、入学や卒業が常に重なるが、この春は長男が通った専門学校の卒業と次男の高校進学が同時期になった。長男は今度の冬、22歳になり、次男はその数日後に16歳になる。共に山羊座O型。
ヤ生研のこと。
2022.2.27やせいけん、と読む。正式名称は、ヤブクグリ生活道具研究室。10年前に、林業振興を掲げて発足した任意団体ヤブクグリ。この名称は、拠点である大分県日田市の杉の固有種をそのまま屋号としたものだ。発足式は、市内を貫流する三隈川に筏を浮かべたりした。
知恵の在処。
2022.2.20僕らは、大小の知恵によって、人生のさまざまな扉を開ける。たくさんの喜怒哀楽でできた日々は、同じくらいのハードルや壁に邪魔され、阻まれる。それをなんとか乗り越え、どうにか解決して、明日はやってくるわけだけれど、その知恵ってどこで養われるのだろう?
ロケーション。
2022.2.7どこに住むかは、とても重要だ。在所とそこを取り巻く環境によって、僕らの日々の暮らしは形づくられる。写真は、気象協会提供の雨雲レーダーの地図だが、自宅をマーキングすると周囲はこんな感じ。南北にくっきりと川筋が見える。日田を代表する花月川と三隈川だ。
5分と10分。
2022.1.31現在の住まいは、大分県の内陸部、日田市の町外れにある。大きな神社のすぐ横にあって、広大な鎮守の森はわが庭のようだ。夜は静かで真っ暗になる。それでいて、徒歩5分で市役所に行ける。そのそばには、高速バスのバス停。もう少し歩けば、JR日田駅がある。
毒気と色気。
2022.1.25正しすぎることの不気味。真面目すぎることの退屈。僕はこれらを生理的に嫌っている傾向があるようだ。もっとも、何に対して不気味さを感じ、何に対して退屈さを覚えるのか、若い頃はうまく分析できていなかった。それが整理され、見えてきたのは意外と最近。
大雪恋しや。
2022.1.19そろそろ積もるかなあ。積もって欲しいなあ。冬の間、数回はドカッと降ってもらいたい。呑気な九州人の戯れ言。いやまったくその通り。北国の方々から見れば、すぐに交通麻痺を起こす九州の雪事情なんて可愛いものだろう。でも、だからこそ生まれる憧れと哀切。
2022 謹賀新年
2022.1.12022年元旦。氷点下4℃と冷え込んだもののスッキリと晴れた新年の朝。寝坊してゆっくり散歩に出る。コロナの影響なのか、例年より人出はまばら。大階段で友人夫妻と出くわし、思わぬ年賀の挨拶を交わす。午後、女房様が戻ったら、お節を囲んで久方の一家団欒。