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白色光。
2023.5.19リビングの間接照明が切れて、取り敢えずストックがあったLEDに換えた。蛍光色だったので、光が当たる漆喰壁は白けて見えた。明日にでも電球色の球を買いに行こう。そう思わせる嫌悪感がこころに滲む。突然、僕はかつてこんな気分を友に伝えたことを思い出した。
発言しない。
2023.5.13すべき発言をしない方が多過ぎる。と直接的であからさまな指摘から入ったのは、それほど日常的に首を傾げているからだ。意見が無いわけではない、会議後の雑談では本音が出たりする。この傾向は、日本人の特質とも永く言われてきたが、もはやシャイでは片付くまい。
男の料理。
2023.5.7最近は、ほぼ毎日料理をしている。家庭の事情で、また一人暮らしが始まったからだが、これまでも時折料理はしてきた。最初はいまから40年近く前。初めての一人暮らしが想いの外楽しく、設備の乏しい単身者用マンションでも、いろんな料理にチャレンジしたものだ。
花を拾う。
2023.5.1毎朝散歩をする。田舎町のはずれ、大きな神社の鎮守の杜を、写真を撮りながらフラフラ歩いている。深山幽谷とまではいかないけれど、四季の変化は驚くほど多彩を極める。時は朝に限るものの、花鳥風月の豊かさに日々胸をときめかせている。中でも花は、饒舌だ。
シジミと土木。
2023.4.25もうひと月もすれば、近辺にはホタルが飛び始める。決して僕の住む場所は山奥ではないし、近くを流れるのは人工的な溝や疎水なのだが、ホタルにとどまらず、サワガニもハヤもシジミも生息する。ただ、どれも古い構築物で近代の無機質さとはどこか異なっている。
政治家こそ。
2023.4.19いつの間にかプロデュースが生業になった。全体計画の統括者。最初から、すべてに関われる仕事。そう思ったので、大変なことも覚悟しながら、もう30年近くこの仕事を続けている。もっとも、それまでのコピーライター以上に、皆さんへの説明が難儀この上ない。
山の女と。
2023.4.7山女と書いて、ヤマメと読む。最初に出会ったのが、24歳の春だから、もう随分長い付き合いだ。最初の一匹は、大分県のY川源流で毛鉤に掛かった15センチほどの個体。僕はそれを両の掌に乗せ、河原にひざまずいてしばらく見入ったことを、いまも鮮やかに思い出す。
抱きしめた。
2023.3.26今年の松の内が明け、急な展開で次男が東京の高校へ編入することになった。地元高校で1年生だった次男とは、中学の頃から2人の時間が長かった。母は自分の夢を追って、拠点を東京に移し、兄もまた東京で料理の世界に飛び込んでいる。そして次男も旅立つことに。
決める力。
2023.3.203/13、政府はマスク装着を個人の判断に委ねると発表した。その前も、屋外では装着不要の声明を出していた。僕は、マスクは不快なので、屋外ではずっと外していたし、学校でも話しづらいので、「オレは外すからみんなしといてね」と学生に言っていたものだ。
考えたくない。
2023.3.8これとほぼ同義で、「決めたくない」というのもある。前者が思考放棄なら、こちらは決断放棄だ。どちらもジワジワと自らの首を絞める。誰しもしんどいことはイヤだから、後回しや敬遠をしがちなのだが、状況は確実に追い込まれていく。これはもう間違いない。
似非について。
2023.3.2エセと読む。本物があって、偽物がある。これはわかりやすい。厄介なのは似非だ。似非とは本物に見せようとする偽物のこと。本物を気取る偽物は、無邪気に世を惑わす。恐らくそこには悪意はなくて、自分を本物だと信じたい天真爛漫こそが諸悪の根源なのだ。
歌に救われる。
2023.2.24人はなぜ歌を唄うのか。詞を編み、曲を奏で、なぜ声に出して唄うんだろう?喋りや記述とは異なる歌。朗読ではなく、旋律とリズムに託す想いの丈。それが他人に響き、場と時を超えて歌い継がれる連鎖。改めて考えると、なんとも不思議な営みではなかろうか。
キャバノンの夢。
2023.1.25いつの頃からか、狭小住宅に憧れている。必要最小限の居住空間。茶室のような住まいと言った方が、ニュアンスはより正確だ。「行く川は絶えずして」の出だしで知られる鴨長明の方丈記。後半は方丈つまりわずか3m四方の庵を編み、そこで暮らす決意が述べられる。
視座の移動。
2023.1.13難しい熟語を使ってしまったけれど、ニュアンスを最も伝えられるのは、この言葉だろう。仕事をしていて、あるいは学生たちと話していて、客観性の乏しさがとても気になることがある。視座が変われば、見えている風景が変わる。それが一巡しないと全体は見えない。
大根の煮物。
2023.1.6いろんな事情が重なって、料理をすることが増えた。一人暮らしなら、簡素化の方向に行くに違いないが、育ち盛りの次男がいることもあって、ジャンクとインスタントは極力避けている。当初は、炒めものが多かったが、やはり煮物のような和食もなんとかしたくなる。