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エセと読む。本物があって、偽物がある。これはわかりやすい。厄介なのは似非だ。似非とは本物に見せようとする偽物のこと。本物を気取る偽物は、無邪気に世を惑わす。恐らくそこには悪意はなくて、自分を本物だと信じたい天真爛漫こそが諸悪の根源なのだ。

似非のほとんどは、薄っぺらいダイジェストとして現れる。本物には、行間、背景、経緯、由来といった奥深い世界観が伴うものだ。ところが、似非は表層だけの理解による軽率なので、こうした諸々は一切省略される。これが皮肉にも本質から離れたわかりやすさとなって、大衆の支持を得たりする。かくして、真のメッセージは届かない。究極の滑稽。
白洲次郎は、この似非が見分けられれば、本当の大人になれると言った由だが、果たしていまどれほどのオトナがいるものだろうか。僕も恩恵に浴しているwebの利便も、引用元の真意を伝えられないまま、幾何級数的に拡散を繰り返している毎日を思うと、寒々しい想いに囚われる。僕らがすがる進歩という幻想は、似非情報でできた砂上の楼閣かも知れない。

僕らはちゃんと進んでいるのか?

by 江副 直樹 2023-3-2 10:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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