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これとほぼ同義で、「決めたくない」というのもある。前者が思考放棄なら、こちらは決断放棄だ。どちらもジワジワと自らの首を絞める。誰しもしんどいことはイヤだから、後回しや敬遠をしがちなのだが、状況は確実に追い込まれていく。これはもう間違いない。

考えたくない人たちはどうするか。先行モデルを物色し、出来合の答を探すならまだいいほうだ。何もしなくても夜は明けるから、昨日と同じ今日を生きるだけという人々は多い。「人は急激な変化より緩慢な死を選ぶ」とは、僕がそれなりに長い人生で会得した確信のひとつ。茹でガエルは本当なのだ。考えるとは、選択肢を整理し、決断に至る過程のこと。
思考と決断の放棄の原因は、苦痛の忌避だろうと思われる。新たな環境、状況への適応の負荷というものは想像以上に重く、心身を苛む一瞬と必ず向き合わなければならない。みんなそれがいやなんだな。怖いのは、そんな個人の問題が、いつの間にか組織や社会の問題に変わっていくこと。硬直し、劣化していく弊害を漏れなく全員が被る因果。ああ、やれやれ。

先が見通せない、そっちの恐怖はないのか?

by 江副 直樹 2023-3-8 10:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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