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2024 謹賀新年
2024.1.1年が明けた。僕にとっては68回目の誕生日でもある。還暦を迎えたあたりから、世間的には老人の仲間入りしたという自覚はあるが、どこも悪いところはないし、ジョグも続いているし、老眼もあまりないし、50代に間違われるのはしょっちゅうだし、まあ好きにやるよ。
正月準備。
2023.12.30今度の正月は、生まれて初めてひとりで過ごす。妻子はそれぞれの夢を追い東京にいる。家族で暮らしている頃は、暮れが押し迫ると、注連縄を飾り、いつの間にかお節ができ、大晦日には年越しそばも出てきたが、今年は随分地味で静かな年末年始になりそうだ。
フジヤマ。
2023.12.12ふ〜じは、にっぽんいちのやま〜。富士山を見たことのない子供の頃から、この歌は知っている。大人になって、東京に行くようになり、時々飛行機の窓からチラリと見やる程度。それが数年前、縁あって麓の町富士吉田に何度か訪れたことがある。その巨大さに驚いた。
江副の樹?
2023.11.12ここのえ低山部の、山の先輩たちに、そんな名前の木があると聞いたときは、もちろん冗談だと思った。いや本当にあったのだ。毎年、必ず春の新緑と秋の紅葉を楽しみに訪れる大分県庄内町男池。有名な湧水から少し歩いた先にこの木はある。見上げるほどの見事な大樹。
深更の思索。
2023.11.6早寝をすると必ず夜中に目が覚める。本当は朝まで前後不覚で熟睡したいのだが、加齢のせいかままならない。そうなればもう開き直って、PCを開いて、電子図書を読んだり、YOU TUBEを渉猟したりする。それは表層の快楽のようでもあるし、深い思索のようでもある。
ドングリの音。
2023.10.7毎朝、境内へ通じる百段階段を上がる。そこは両側に大木が生い繁っていて、春夏秋冬さまざまな表情を見せる。春は若葉が萌え出し、夏は鬱蒼とした緑陰が涼を生み、秋は紅葉と落葉がはかなげで、冬は木々が葉を落とし切り、日射しが広がり意外にも明るくなる。
2匹の尺物。
2023.10.1僕の釣りシーズンが終わった。3月から5月までは山女魚のフライフィッシング。6月から9月までは鮎の友釣り。山女魚は14回と例年並みだったが、鮎は長雨に祟られたこともあり、20回と少し控えめだった。もっとも回数ではない。興奮の密度こそが求めるところだ。
神社のそばで。
2023.9.25大分県日田市にある大原天満宮のそばに住んで、もう11年目になる。周辺の渓流にヤマメ釣りで訪れ、惹かれ始めて30年を超えた。地元の人々とも繋がって、距離は次第に縮まり、同じ生活圏の隣村で過ごした12年を含めると、日田との関わりはとっくに20年以上だ。
大衆受けの罠。
2023.8.12面倒を取り除けば、コトはわかりやすくなる。一番大事なところこそ面倒が伴っている。これはもう古今東西の世の理。社会に対して、新しいメッセージを持っている人は、当然その核心を伝えたいと考える。ところがここが最も難しい。歴史に実例はいくらでもある。
蔵書が溜まる。
2023.7.31好奇心が抑えられない。関心のあるテーマが夥しい。勢い深掘りしようとするわけだが、いまや情報源は誠に多様になった。オーソドックスな書籍を始め、電子図書、YOU TUBEなど、渇望を癒す文字や画像が簡単に手に入るありがたき時代。しかし、追い付かない。
百日紅の夏。
2023.7.25夏が盛りを迎えると、あちこちに白や紅、ピンクの花弁を房のように咲かせる百日紅。その名の通り、開花後もすぐに散り切ることもなく、長い期間咲き続ける。色の乏しい季節に、ホッとするような花木。日田のわが家にもシンボルツリーとして玄関脇に植えている。
螺旋的上昇。
2023.7.19あるいは螺旋的下降。豊かさと言われる暮らしの中身の話である。恐らく歴史の年表のせいだと思うのだが、太古の昔から現在に至るまで、ずっと直線的に進歩し、豊かになってきたと思いがちだ。僕は以前から、この感覚に違和感がある。本当に進んでいるのか?
普遍で本質。
2023.6.23身上らしきものがあるとすれば、染まらないこと。と答える。人にも、土地にも、組織にも、時代にも染まらず、常に自分自身を保っていたいと強く思っている。刺激を受けることはあるだろう。一時的に影響を受けることもないとは言わない。しかし、しかしである。
遊びの先に。
2023.6.6遊びをせんとや生まれけむ。のフレーズがあったのは、梁塵秘抄だったか。僕を含めて、わが遊びの肯定にしばしば引き合いに出される。編纂したとされる後白河院の真意はともかく、言い訳ではなく遊びの意義については、いまも変わらず強弁したくなることがある。
原石のまま。
2023.5.31あと2年半ほどで古希を迎える。ここへ至って初めて得る資格というものがあるような気がしている。つまり、過去を振り返る資格。昔話に埋没するのは、未来の見えなくなった老人の哀れだが、経験の中から普遍や原則を紡ぎ出すのも老人ならではの責務かと思われる。