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歌に救われる。
2023.2.24人はなぜ歌を唄うのか。詞を編み、曲を奏で、なぜ声に出して唄うんだろう?喋りや記述とは異なる歌。朗読ではなく、旋律とリズムに託す想いの丈。それが他人に響き、場と時を超えて歌い継がれる連鎖。改めて考えると、なんとも不思議な営みではなかろうか。
サムライはどこに?
2023.2.18人の覚悟のほどを表すのに、サムライという言い方がある。命を賭して立ち向かっているか、不退転の心情でことに当たっているか。安全なんて保証できない瞬間がある。計画の立てようがない未知に飛び込まざるを得ない局面が必ずある。そこでどう振る舞うか。
未熟な科学。
2023.2.12最近関わったイベントのひとつに、神官の方が奈良の歴史を当地を巡りながら紐解くという企画があった。それはそれは、驚きと感心満載の講話だったのだが、僕の耳に残ったのは講和後の雑談だった。先生はポツリと、「神話を亡くしたらあきまへんで」と仰ったのだ。
ある朝の雪景色。
2022.12.24雪が積もる朝は、音が消える。降り積む氷の結晶が吸音するのか、いつもの小鳥たちがどこかで雪を避けているのか、窓の外から音が聞こえない。そんな気配に積雪を予感して布団から飛び出すことになる。僅かにドキドキしながらベッドの上に立つと、果たして銀世界。
落葉曼荼羅。
2022.11.26春の桜吹雪、秋の落葉。僕の心の中で、ともにもののあはれを伴う胸騒ぎを、毎年引き起こす自然の営み。この秋も、イチョウの黄、モミジの赤に翻弄された。樹上で染まり、散って地表を彩り、生気を失ってしまうまで、何度も何度もワクワクし、ドキドキした。
親父に似る。
2022.10.3ある日、車中で戯れの自撮りをやった。帰宅して、Macにアップロードしていて愕然とした。「親父やん」。その写真は、20年以上前に74歳で逝ったわが亡父と瓜二つだったのである。最近掛けている釣り用に作った偏光グラスが、事情に拍車を掛けたらしかった。
自然は尊いか?
2022.9.21そんなことは言を待たない。ところが、なぜ尊いかを説明できる人は実のところ非常に少ない。説明するとしても、情緒で語られることがほとんどだ。建材で、木がいいと力説する人は多くとも、その理由が明確に伝えられることはあまりない事情ともよく似ている。
暗闇を知る。
2022.8.3ごくたまに、大都会の夜景などを見ると、キレイだなと思う。でも、どこもここも明るくて、昼も夜もない環境はどこか受け容れ難いものがある。夜の闇は、やはり闇としてそこにあるべきだと思えてならない。もう20年以上前の、過疎の村での体験を思い出した。
真っ黄っ黄。
2022.7.9夏、鮎釣りが解禁になると、全国の河川でこのセリフが叫ばれる。釣り上げた鮎を手に取った友釣り師たちが、追い星やヒレが黄色味を強めているグッドコンディションの魚体を見つめて、勝手に好釣果への期待を高めながら、実にうれしそうに雄叫びを上げる。
仁義の欠落。
2022.7.3しばらく前に、仕事上のおしゃべりで、仁義の有無という話題が中心に上ったことがあった。常日頃、不義理を体現している僕が言うのも大いに憚られるが、伝えたいのはそっち方面のニュアンスではなくて、明文化もされていない根源的不文律のような話。
夜明けに啼く。
2022.6.8今朝もホトトギスの聲が聞こえる。不如帰、時鳥の別名も。「目に青葉、山ホトトギス、初がつお」は、馴染みのある名句。啼き声を表現するに、トウキョウトッキョキョカキョクとかテッペンカケタカとか。白み始める早朝から帳が降りる夕方まで、延々と啼き続ける。
5月納竿。
2022.5.2642年目のヤマメ釣りのシーズンが終わった。いや、釣期自体は9月末日まで続くのだが、16年前に鮎の友釣りを始めて以来、僕は6月以降はさっさとフライロッドを片付けて、9mに及ぶ長竿に持ち替えて、長い年は10月の頭まで地元の川を渉猟する。これまた恍惚の日々。
近所付き合い。
2022.4.10人が集まればコミュニティができる。古今東西、それは同じ。バーチャルなSNSもまた明らかにコミュニティだろう。しかも、その内容を見ていると、想像以上に現実のご近所さんと相似型だ。多種多様な投稿の合間に、当たり前のように冠婚葬祭の情報が入ってくる。
知能犯になる?
2022.4.4知能指数、IQという指標がある。僕が子供の頃は、毎年テストが行われていたと思う。高校まで記憶がある。いまもあるんだろうか。息子たちからは聞いたことがない。クイズのようなゲームのような内容で、知力のポテンシャルを測るというようなことだった。
桜花の妖しさ。
2022.3.28今年も桜が咲いた。毎年この時季、桜についてブログを書いている。陶然とするほどの美しさを持つ桜は、それだけではないなにか心の奥にざわめきに似た、妖しい感情を宿すのである。春の記憶はもう60年を超えたが、大人になって余計にそうした心象に覆われている。