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夜更けの咆哮。
2024.4.6現在のわが家は決して山奥にあるわけではないが、夜は充分に暗く静かになる。10軒ほどの家が点在するなだらかな傾斜を持つ小さな扇状地で、大原神社に繋がる逆V字型の森に囲まれている。思いの外動植物も多く、鳥はもちろん、蛍もいるし、キツネも見たことがある。
妖艶なるもの。
2024.3.31毎年繰り返し書いている話題はいくつかあるが、桜にまつわる想いもそのひとつ。花の中では最も好きで、その妖艶な美しさに陶然としながらも、移ろいの早さに背中を逆撫でされるごとくにソワソワとさせられ、散った後の花弁の絨毯や花筏の儚さについ悄然となる。
朝夕の色。
2024.3.19春はあけぼのと言ったのは、枕草子の清少納言だったか。これは、夏は夜。秋は夕暮れと続く。なるほどと頷くことも多いけれど、季節を問わず、僕は夜明けが一番好きで、次に夕暮れが来る。明暗が入れ替わるこの時間帯は、どこか不思議で特別な感情が付きまとう。
狩猟の民。
2024.3.13生き方のタイプや人のキャラを言い分けるのに、狩猟型か農耕型という表現がある。前者は縄文的で、後者は弥生的といった線の引き方もあるだろう。僕自身は、縄文的な狩猟型の方に少なからぬ魅力を感じていて、若い頃はそんな人生を生きたいとボンヤリ思っていた。
神社なかりせば。
2024.1.31神社の隣に住んでいる。比較的大きな、歴史ある荘厳なお社。偶然ではない。神社があったので、ここに住むことを決めた。10年以上前の話である。300年を優に超える神社の時間に比べれば、つい先日。どちらかと言えば、しばし住まわせていただいている感覚。
役立たず。
2024.1.7これは何かの役に立つか否か。そんな視点で物事を眺めている人は多いだろう。それが余りに露骨になると、打算と蔑まれることもあるかも知れない。あるいは、無駄の排除。興味深いのは、何を無駄と思うかだ。この取捨選択が、人生を厚くもすれば薄くもする。
2024 謹賀新年
2024.1.1年が明けた。僕にとっては68回目の誕生日でもある。還暦を迎えたあたりから、世間的には老人の仲間入りしたという自覚はあるが、どこも悪いところはないし、ジョグも続いているし、老眼もあまりないし、50代に間違われるのはしょっちゅうだし、まあ好きにやるよ。
正月準備。
2023.12.30今度の正月は、生まれて初めてひとりで過ごす。妻子はそれぞれの夢を追い東京にいる。家族で暮らしている頃は、暮れが押し迫ると、注連縄を飾り、いつの間にかお節ができ、大晦日には年越しそばも出てきたが、今年は随分地味で静かな年末年始になりそうだ。
フジヤマ。
2023.12.12ふ〜じは、にっぽんいちのやま〜。富士山を見たことのない子供の頃から、この歌は知っている。大人になって、東京に行くようになり、時々飛行機の窓からチラリと見やる程度。それが数年前、縁あって麓の町富士吉田に何度か訪れたことがある。その巨大さに驚いた。
江副の樹?
2023.11.12ここのえ低山部の、山の先輩たちに、そんな名前の木があると聞いたときは、もちろん冗談だと思った。いや本当にあったのだ。毎年、必ず春の新緑と秋の紅葉を楽しみに訪れる大分県庄内町男池。有名な湧水から少し歩いた先にこの木はある。見上げるほどの見事な大樹。
深更の思索。
2023.11.6早寝をすると必ず夜中に目が覚める。本当は朝まで前後不覚で熟睡したいのだが、加齢のせいかままならない。そうなればもう開き直って、PCを開いて、電子図書を読んだり、YOU TUBEを渉猟したりする。それは表層の快楽のようでもあるし、深い思索のようでもある。
ドングリの音。
2023.10.7毎朝、境内へ通じる百段階段を上がる。そこは両側に大木が生い繁っていて、春夏秋冬さまざまな表情を見せる。春は若葉が萌え出し、夏は鬱蒼とした緑陰が涼を生み、秋は紅葉と落葉がはかなげで、冬は木々が葉を落とし切り、日射しが広がり意外にも明るくなる。
2匹の尺物。
2023.10.1僕の釣りシーズンが終わった。3月から5月までは山女魚のフライフィッシング。6月から9月までは鮎の友釣り。山女魚は14回と例年並みだったが、鮎は長雨に祟られたこともあり、20回と少し控えめだった。もっとも回数ではない。興奮の密度こそが求めるところだ。
神社のそばで。
2023.9.25大分県日田市にある大原天満宮のそばに住んで、もう11年目になる。周辺の渓流にヤマメ釣りで訪れ、惹かれ始めて30年を超えた。地元の人々とも繋がって、距離は次第に縮まり、同じ生活圏の隣村で過ごした12年を含めると、日田との関わりはとっくに20年以上だ。
大衆受けの罠。
2023.8.12面倒を取り除けば、コトはわかりやすくなる。一番大事なところこそ面倒が伴っている。これはもう古今東西の世の理。社会に対して、新しいメッセージを持っている人は、当然その核心を伝えたいと考える。ところがここが最も難しい。歴史に実例はいくらでもある。