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荒野をめざす。
2025.9.27血とは不思議なものだ。血脈という言葉があるように、それは確実に受け継がれていくらしい。東京で料理人をしていて、先頃転職の相談を受けていた長男から、LINEが来た。後悔したくないから、やっぱり絵を本気でやってみると。バイトをしながらやっていくと。
あのひと言。
2025.9.6いまも時折思い出すひと言がある。日々悶々としていた40年以上前。僕は20代で、誰もがそうであるように、感じ、想い、考え、焦っていた。明け方、何の不安かわからないが、夢の中で押しつぶされそうになって、ほとんど叫ばんがばかりに飛び起きていたあの頃。
脂身を喰らう。
2025.7.17脂身が好きである。子どもの頃、オヤジが食べていたステーキの脂身を貰うのが楽しみだった。近ごろは、豚肉を食べることが多いのだが、脂身の多いしゃぶしゃぶ用を特に好んでいる。これをシンプルにソテーして、自作のアオサ塩でいただく。これが非常に旨い。
豚肉は脂身。
2025.5.23豚肉が好きである。牛肉も羊肉も好きだが、甘い脂身を持つ豚肉が好きだ。柿豚料理会というイベントをプロデュースしたこともある。だからどうしたと言われそうだが、好きだから仕方がない。料理に深入りする最近も、良く豚肉レシピを試している。定番もいろいろ。
事情を超えて。
2025.4.23事情はわかる。ただそれを受け入れてしまったら、何もできない。衰退を遠ざけるには、不断のアップデートが不可欠だが、それを止めてしまうのが諸般の事情というヤツだ。イノベーションとは、慣習や常識から抜け出す振る舞いのこと。進化とは更新と言い換えられる。
花見と月見。
2025.4.5何を見て生きていくか。お金か、芸術か、自然か、隣の芝生か。それによって人生の彩りは大きく変わる。俗にまみれる暮らしからは到底逃げられないとしても、少しでも花鳥風月を眺めて日々を過ごしたいと思わずにはいられない。幸福感は、風雅の薬味があってこそ。
早春の苦味。
2025.3.12フキノトウを意識し始めたのは、その昔ヤマメ釣りを始めて、各地の山間に通うようになってからだ。街中では縁遠い山の幸がなんだかとてもありがたくて、春の渓流でたくさん採って、蕎麦屋に持ち込んで天麩羅にしてもらったこともある。あの香り、そしてあの苦味。
嘘のつき方。
2025.2.22悪いオンナは嘘をつく。悪いオトコも嘘をつく。この世は、所詮化かし合い、嘘と嘘とのせめぎ合い。なんて言うと、どこかで聞いた安っぽい演歌のようだが、俎上に上げたいのはそんなことではなくて、嘘と真実の間の不思議な距離感についてである。ホントに?
休日会議。
2025.2.6休日に会議や打合せが時々ある。しかも年々増えてきている。休みの日まで仕事かよと呆れる向きもあるやも知れないが、年中無休と言うことではない。週7日のカレンダーとあまり関係ない設定が増えていると言った方がいいだろうか。そして存外これが気楽で心地良い。
月光の訪れ。
2025.1.13自宅の周辺は、夜は闇に包まれる。境内横の古い住宅地は、外灯の類も最低限でわずかな明かりを放つだけ。初夏のホタルもだからこその美しさ。静けさとも相まって、とても穏やかな佇まいが気に入っている。中でも、満月の時などはさらにその風情が深まるのである。
2025 謹賀新年
2025.1.1年が明けた。69歳になったが、相変わらず元気だ。いまも疲労を感じることはあまりない。昨夕も走り納めをしてきた。ひとりで迎える2年目の正月。朝、ビールを飲みながら雑煮を作り、美味しくいただいたら、百段階段を上がって、参拝をし、干支の置物を買おう。
初冬の錦絵。
2024.12.12秋が遅かった。今年ほど紅葉の進行がゆっくりだったことはない。11月上旬、毎年通う大分県庄内町の男池の森に出かけた。噂通り、木々の色づきはさっぱりだった。過去こんな状況は経験がない。暑い夏が長引いて、秋が短いなどという声も聞こえた。もはやこれまでか。
怖いもの見たさ。
2024.9.24今度の正月で、僕は69歳になる。年齢だけ見れば、紛うことなき高齢者。正真正銘のじいさんだ。さらに翌年は、当たり前だが。70歳。古希。この僕が70歳とは!にわかには信じがたいが、間違いなくそうなのだ。その時僕は、いったいどんな風景を見るのだろう?
衰退が忍び寄る。
2024.9.6成熟と劣化は表裏一体。これは、逃れようのない真実だ。成功裡に永く続くプロジェクトも、実はその裏に着実に衰退の兆しを多く孕んでいるものだ。これまでさまざまなプロジェクトを経験して、いま改めて実感している。では、なぜそうなるかを考えてみよう。
蜩は啼かず。
2024.8.31この夏、不思議なことに蜩の啼き声を一度も聞かなかった。今春のヤマメ釣りでも、彼らの餌となる羽虫が非常に少なかった。結果、過去記憶にないほどの貧果に終わった。蜩が啼かなくても、特に実害はないんだけれど、それにも増して得も言われぬ寂しさが残るのだ。


