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怖いもの見たさ。
2024.9.24今度の正月で、僕は69歳になる。年齢だけ見れば、紛うことなき高齢者。正真正銘のじいさんだ。さらに翌年は、当たり前だが。70歳。古希。この僕が70歳とは!にわかには信じがたいが、間違いなくそうなのだ。その時僕は、いったいどんな風景を見るのだろう?
衰退が忍び寄る。
2024.9.6成熟と劣化は表裏一体。これは、逃れようのない真実だ。成功裡に永く続くプロジェクトも、実はその裏に着実に衰退の兆しを多く孕んでいるものだ。これまでさまざまなプロジェクトを経験して、いま改めて実感している。では、なぜそうなるかを考えてみよう。
蜩は啼かず。
2024.8.31この夏、不思議なことに蜩の啼き声を一度も聞かなかった。今春のヤマメ釣りでも、彼らの餌となる羽虫が非常に少なかった。結果、過去記憶にないほどの貧果に終わった。蜩が啼かなくても、特に実害はないんだけれど、それにも増して得も言われぬ寂しさが残るのだ。
嫌いなヤツとは。
2024.8.25もう仕事したくない。と続く。僕もまったくそう思うけれども、実はこれ、クライアントの方々から言われたコメントなのだ。みなさん、50代以上でたくさんの人生経験をお持ちの熟年世代。お仕事の実績も充分に高い方々が、こんなことをおっしゃる事実に驚いた。
そのまま持つ。
2024.8.19最近、面白い話を聞いた。留学経験のある方々が、期せずして同様の思い出話をしてくれたのだが、片やアート、片や化学の領域でアメリカとイギリスの大学で味わった経験が、ほぼ同じ内容の日本人評。それは、「日本人はまとめ好き」なる皮肉だったという話。
公私の境目。
2024.7.2名ばかりだが、ブンボは株式会社である。しかし、オフィスは自宅の一部である。法人になる前から長くフリーランスなので、もう40年近く通勤をしていない。ブンボは一応週休2日である。しかし、曜日を問わず仕事をしている。公私の境目はないがごとくである。
無手勝流。
2024.6.13独学について考えることがある。一般には、いわゆる正統な、体系立った知識やノウハウを学んで、人は新たなスキルを身に付ける。当初は、広大無辺なそもそもの対象への理解や、必要なスキルの修得のきっかけさえ見つからない。となれば勢い師匠を探すことになる。
11年目のウサギ。
2024.6.1数日前の午後。いつもの尾根道をジョギングしていた。例によって、復路の上りを喘ぎながら走っていると、視界の左端に小さな動くもの。地を跳ねる鳥かと思ったが、挙動が少し違う。近づいていくと、なんと野ウサギだった。しかも子ども。ついに見つけた、と思った。
ホタル散歩。
2024.5.14GWが終わってしばらくすると、この時季ならではの愉しみが訪れる。ホタルだ。日田に越してくる前に住んでいた隣村では、山上に住まいがあったこともあり、周辺にはたくさんのホタルが飛んでいた。街に近くなる新居では、もう見られないかもと覚悟をしていた。
夜更けの咆哮。
2024.4.6現在のわが家は決して山奥にあるわけではないが、夜は充分に暗く静かになる。10軒ほどの家が点在するなだらかな傾斜を持つ小さな扇状地で、大原神社に繋がる逆V字型の森に囲まれている。思いの外動植物も多く、鳥はもちろん、蛍もいるし、キツネも見たことがある。
妖艶なるもの。
2024.3.31毎年繰り返し書いている話題はいくつかあるが、桜にまつわる想いもそのひとつ。花の中では最も好きで、その妖艶な美しさに陶然としながらも、移ろいの早さに背中を逆撫でされるごとくにソワソワとさせられ、散った後の花弁の絨毯や花筏の儚さについ悄然となる。
朝夕の色。
2024.3.19春はあけぼのと言ったのは、枕草子の清少納言だったか。これは、夏は夜。秋は夕暮れと続く。なるほどと頷くことも多いけれど、季節を問わず、僕は夜明けが一番好きで、次に夕暮れが来る。明暗が入れ替わるこの時間帯は、どこか不思議で特別な感情が付きまとう。
狩猟の民。
2024.3.13生き方のタイプや人のキャラを言い分けるのに、狩猟型か農耕型という表現がある。前者は縄文的で、後者は弥生的といった線の引き方もあるだろう。僕自身は、縄文的な狩猟型の方に少なからぬ魅力を感じていて、若い頃はそんな人生を生きたいとボンヤリ思っていた。
神社なかりせば。
2024.1.31神社の隣に住んでいる。比較的大きな、歴史ある荘厳なお社。偶然ではない。神社があったので、ここに住むことを決めた。10年以上前の話である。300年を優に超える神社の時間に比べれば、つい先日。どちらかと言えば、しばし住まわせていただいている感覚。
役立たず。
2024.1.7これは何かの役に立つか否か。そんな視点で物事を眺めている人は多いだろう。それが余りに露骨になると、打算と蔑まれることもあるかも知れない。あるいは、無駄の排除。興味深いのは、何を無駄と思うかだ。この取捨選択が、人生を厚くもすれば薄くもする。