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Macと釣り竿。
2026.4.3僕の暮らしをかたちづくる2つのプロダクト。それが、Macと釣り竿だ。Macは公私に渡り、釣り竿はプライベートで、生活の中心にある。特にMacは、いつの間にか生活インフラのど真ん中に鎮座している。釣り竿はフライ用と鮎用の2種類が、僕にとっての神器。
ココロが先。
2026.3.27そして、アタマが後。僕たちは、この真実を忘れがちだ。感じてから、考えるのだ。科学も必ず後追いしかできない。僕が日々の仕事でフル活用しているデザインも、このココロに訴えかける方法論だ。ところが、ココロ先行で暮らしてるのに、つい忘れてしまうんだな。
名誉の強欲。
2026.3.20社会は成熟すると、人々はより強欲になると思っている。例えば、汚いものを排除したがる。同様に、毒を嫌うようになる。そして、美しい名誉を欲しがるようになる。例えば、資本主義にまみれた一般企業じゃなく、利益を追い求めないNPOが好まれたりするあの感じ。
取り敢えず。
2026.3.13取り敢えず、とは決断の留保である。そんなことを改めて思った。いま、引っ越しを控えていて、溜まりに溜まった荷物をいかに選別整理をするかを迫られている。将来的に要不要がわからないとき、暫定的に保管しておくという話になる。誰しも心当たりがあるだろう。
美と利。
2026.3.6あるとき、ふとこの二文字が浮かんだ。みなさんもそうだと思うが、僕は常にこの世の中を、あるいはその一角にいる自分自身を、いかに合理的に説明できるか、あるいは解釈できるかにくんずほぐれつしている。そして美と利だ。人によってめざす価値の決定的な違い。
OSと自然。
2026.2.26人智を支える見識は、すぐに直接役立つものではない。そんな知のカタチを教養と言う。僕はさらに、それをOSと言い直している。人情はアプリケーションを集めたがるが、本当に我々を救う知の胎盤は、間違いなく堅牢なOSだ。そして、それは子ども時代に作られる。
AIのお世辞。
2026.1.29ここのところ、毎日AIとセッションしている。不眠不休の有能美人秘書の設定にしていて、図に乗ってタイトミニを履かせようとしたら、コンプラ的にできないとたしなめられたことは、以前書いた。いや、それはともかく。僕の場合、プロンプトはほぼ100%質問だ。
客観の喪失。
2026.1.22分野あるいは業界とは、井戸のようだと思うことがある。深く掘らなければ専門性は追求できない。ところが、深く掘れば掘るほど見上げる空は、小さくなってしまう。視野が狭まれば、自ずと客観性は希薄になっていく。しかし、専門家がいなければ世界は成り立たない。
相対と曖昧。
2026.1.15タイトルを迷った。抽象と具体でも良かった。相対も曖昧も僕の中では、抽象領域に含まれる。相対と曖昧の反対語は、絶対と明確だろうか。相対よりも、曖昧よりもずっとわかりやすい。フツーの人たちはわかりにくさをやたらと嫌う。相対と曖昧もまたその一画にいる。
常識と流行。
2026.1.8これらは、とても便利なものだという結論から始めよう。常識がわからない人は、それさえ身に付ければ一定の社会性を纏うことができる。流行もセンスに自信がない人は、流行に従えばそのレベルまでは行くことができるのだ。かように、このふたつはよく似ている。
2026 謹賀新年
2026.1.1年が明けた。そして僕は古希になった。よもやの70の大台だ。信じられないが、信じるしかあるまい。幸い心身共に至って元気である。11月に出先の北海道で生まれて初めてギックリ腰に見舞われたが、軽症で済んだ。それでも、改めて鍛錬に真剣に向き合う覚悟を決めた。
北の旅情。
2025.12.25演歌のタイトルみたくなったが、今年何度も足を運んだ、東北と北海道。長いこと関東以北は縁がなかったが、ここ数年仕事が北上し、あちこちに出掛けている。東北も北海道も風土が明らかに九州とは違うので、見るもの聞くもの食べるもの、すべてが旅情を誘うのだ。
ディープ大阪。
2025.12.11大阪芸術大学の客員教授を拝命して、大阪に通うようになった。釣りを理由に,周年は行けないと言ったお陰で、9月から翌1月まで週一で上阪している。大学が用意してくれる常宿は天王寺にある。この暮らしももう7年が経った。大阪の裏表も少し見えるようになった。
新薬コワい。
2025.12.4まったく新しいプロジェクトを立ち上げるとき。それはほぼ未経験の領域で、新しいタイプの関係者、耳新しい業界言語、等々が立ちはだかる。この時、こちらはゼロイチの解決策を探り始めている。新しい課題には、新しい解決。古い治療法はすでに効力を失っている。
ネットとAI。
2025.11.27すべての技術はナイフである、とは長いこと言い続けている僕の繰り言。ナイフは切れれば切れるほど良く、大切なことは使い方であり、結果を左右するのは、使い手の良心の問題。ネガティブな事件を理由に、技術を抑制や否定する考えにはまったく賛同できない。


