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そのまま持つ。
2024.8.19最近、面白い話を聞いた。留学経験のある方々が、期せずして同様の思い出話をしてくれたのだが、片やアート、片や化学の領域でアメリカとイギリスの大学で味わった経験が、ほぼ同じ内容の日本人評。それは、「日本人はまとめ好き」なる皮肉だったという話。
にゃんこ飯。
2024.8.13高校の頃、体育で剣道を選択した。真冬の寒い時期,早朝に恒例の寒稽古があるのだが、その朝だけ食堂がご飯と味噌汁を用意してくれる。僕は迷わず、味噌汁をご飯にぶちまけた。うんめー。すると、僕の回りの同級生たちが、「おまえ、下品やのー」と驚いたのだ。
アタマが丈夫。
2024.8.7遅まきながら、解剖学者の養老孟司氏の人気著作を3冊ほど読んだ。「バカの壁」、「死の壁」、「超バカの壁」。どれも面白かった。物言わぬ死体を相手にする学者でありながら、虫屋でもある同氏には以前から興味があった。僕が描くインテリ像にほぼ合致する御仁。
すべては暫定。
2024.8.1例えば、政治家同士、あるいは評論家との議論で、「徹底的に議論して決めなきゃいいけない」というフレーズを耳にすることがある。至極ごもっともで、そうあって欲しいと思う反面、急を要する案件では迅速な決断が優先されるだろうと感じることも少なくない。
ヒンガネー。
2024.7.26漢字を入れると、「品がねー」となる。こんな表現を小学生が日常的に使っている姿を想像して欲しい。笑えるというか、滑稽というか、愉快というか。当時も違和感を持っていたのか、なぜか良く覚えている。もちろん、僕も常用していた。あいつ、ヒンガネーのう。
深夜の蕎麦。
2024.7.20早寝が過ぎて、夜半に覚醒する生活は、もはや日常になりつつある。それは遊んでいるような、学んでいるような、働いているような時間なのだが、時に小腹が空くことがある。普段は小鳥のような粗食を旨としているのに、ここでやにわに放埒を許すわけにはいかない。
美女と会食。
2024.7.14毎日更新しているFBやインスタに、しばしば美女との会食予定や、実際の写真をアップしている。顔はまず出さないから、見ているみなさんは、どれほどの美女なのか気になっているに違いない。特に野郎どもは。他の男がモテてるのは気になるし、なにより癪だからね。
鄙には希な。
2024.7.8ヒナニハマレナ、と読む。鄙とは田舎のことで、鄙には希な美人などという使い方をする。都会と田舎の格差が大きな時代において、田舎にしては、相対的にレベルの高いモノやコトに出会った際の、驚きの言い回しだ。田舎の三年より京の昼寝、などとも揶揄された。
公私の境目。
2024.7.2名ばかりだが、ブンボは株式会社である。しかし、オフィスは自宅の一部である。法人になる前から長くフリーランスなので、もう40年近く通勤をしていない。ブンボは一応週休2日である。しかし、曜日を問わず仕事をしている。公私の境目はないがごとくである。
運動不足。
2024.6.26今年の梅雨はよく降る。青空を見ることが珍しくなると、生活が変わる。日課の朝の散歩ができなくなり、週に数回のジョグも無理となり、この時季のメインプログラムである鮎釣りも行けなくなる。左手首のApple Watchが、運動負荷が激減していることを警告する。
伝える作法。
2024.6.20この世はすべてコミュニケーションだ。繰り返される膨大な意思疎通が、僕らの日々を作っている。家族で、地域で、仕事で、果ては外交で、多様で夥しいコミュニケーションを続けている。伝達、提案、交渉、説得と、その目的によって、精度と強さが変わってくる。
無手勝流。
2024.6.13独学について考えることがある。一般には、いわゆる正統な、体系立った知識やノウハウを学んで、人は新たなスキルを身に付ける。当初は、広大無辺なそもそもの対象への理解や、必要なスキルの修得のきっかけさえ見つからない。となれば勢い師匠を探すことになる。
一木一石。
2024.6.7木を見て森を見ず、とは、視野狭窄や全体観の欠落を戒める名言だが、これは部分と全体の因果関係の重要性を諭す至言でもある。森の一木が、その森の風のあり方を決め、川の一石がその川の流れを決める。1本の木の植え方、1個の石の置き方が与える影響について。
料理オヤジ。
2024.5.2010年近く前から、長男の市外進学などに絡んで、自炊をする機会が増えた。ヤツが卒業した後は、日田でしばらく次男とふたりで住んでいて、家事は当然僕の担当になった。そんな彼も昨春から東京で活動する母親と暮らし始めたので、以降完全なひとり暮らしである。
ホタル散歩。
2024.5.14GWが終わってしばらくすると、この時季ならではの愉しみが訪れる。ホタルだ。日田に越してくる前に住んでいた隣村では、山上に住まいがあったこともあり、周辺にはたくさんのホタルが飛んでいた。街に近くなる新居では、もう見られないかもと覚悟をしていた。