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作文の巧拙。
2021.1.19ストーリーのない書籍、例えば経済、哲学、科学といったジャンル、人文学系の読書をしていて度々思うことがある。もっとわかりやすく書けないのか、と。テーマが面白くて手に取った本。論旨をなんとか理解しようと努めるが、わかりづらくてブレーキが掛かる。
どこを見るか。
2021.1.13仕事の仕方の話である。どこを見て課題を把握し、解決のアイデアを出すか。このスタンスで、およそプロセスと結果は決まる。多くはクライアント=依頼主を見ながらだろう。直接的な発注者だし、目の前に現れて打合せ等の対象者だし。勢いそうなりがちかもしれない。
無いものねだり。
2021.1.6これは、自分がいま持っていないモノを欲しがるという意味ではない。この世の中にいまだ存在しない何かを欲っする心情のこと。創造性って、要はここなんじゃないかと思う。見たことのない何かを想像し、それを現実化したくなる欲望と能力のカタチがきっとある。
2021 謹賀新年
2021.1.1新しい年が明けた。2021年元旦。僕は65歳になった。まさか、こんな齢まで生きながらえるとは、若い時には想像もつかなかった。同時に、歳を重ねるだけ、見たこともない新たな地平が現れる人生の妙も、一度と言わず味わって、毎度不思議な感慨に襲われる。
釣り師の宴。
2020.12.28僕の釣りは基本単独行なのだが、ヤマメ釣りは時折気の置けない釣友と遊ぶことがある。気づくと、テンカラやエサなど釣法は違えど、ヤマメを追う釣り仲間たちと繋がって、ちょうど4人揃ったときに、ふざけて釣りおバカカルテットなどと称したのがコトの始まり。
見えないを見る。
2020.12.14スピリチュアルな意味ではない。上っ面のわかりやすさばかりを求める近代の風潮に、いい知れぬ不安を覚えている。進んではならない方向へ踏み込んでいるような、それでいてうまく表現できず、深いもどかしさを抱えながら、こうして何度もトライをしてしまう。
過疎と過密。
2020.12.7コロナ一色となった2020年。暮らしや仕事にまつわるさまざまな価値観が、根底から揺さぶられた1年だった。中でも世間を賑わせたのは、「密」の文字。感染者が明らかに都市部で多発していることもあって、3密などといった新たなキーワードが生まれ、広まった。
天使が逝った。
2020.11.26Diego Armando Maradona。誰もが認める不世出の天才サッカー選手。あれほどクリエイティブで、あれほど速く、あれほど強く、あれほど巧く、あれほど無邪気なアスリートがかつていただろうか。アルゼンチン国民は、この英雄の死を悼み、3日間喪に服するらしい。
なぜ森は尊いか?
2020.11.19自然を大切にしましょう。子どもの頃から、誰もが何度と言わず聞かされたフレーズ。当然、表立って反対する人はいない。しかし、なぜ?と改めて問われれば、明確に答えられる人は果たしてどれくらいるのだろうか?自明の理のようでいて、実はピンと来ない。
凡庸な蝶々。
2020.11.12大輪の花が咲いてから寄ってくる蝶々は、炯眼を持ち合わせない凡庸なる蝶々である。巡航する豪華客船に目を奪われるのは、平凡な乗客でしかない。青虫の時にその羽根を想像できなければならない。図面が引かれている新型船のアイデアに興奮しなければならない。
丑三つ時の快。
2020.10.30夜半に目が覚める。いつの頃からか思い出せないが、ここ数年。還暦を迎えてからだろうか。一旦深く寝た後に、主に仕事のことを煩悶しつつ覚醒する。僕の場合は、良く聞く生理現象ではない。いずれにしても加齢によるものには違いないと観念している。
新旧交代その2。
2020.10.24実に良く走った。オドメーターの数字列は、今年に入ってついに23万キロを超えた。九州各地への打合せや出張、さらには魚釣りでの釣り場への頻繁な往復。クルマ屋をしている友人曰く、世界で最も距離を走っているSmartじゃないか。あながち誇張でもないだろう。
科学と詩の間。
2020.10.18最近のドキュメンタリーで、経済学者M.マッツカート女史の提言を聞いた。「企業家としての国家」など、世界的に注目を浴びる気鋭の研究者だが、番組最後のコメントが最も印象に残っている。「これからは、科学者だけでなく、詩人の力も借りなければならない」。
川キリギリス。
2020.10.5釣り人はいつも魚泥棒だ。年柄年中、川や海にいる魚を釣り上げることばかり考えている。僕はもう40年来の川の釣り人で、大きなヤマメやアユを一匹でも多く釣り上げることに没頭してきた。何よりも釣りを優先し、少しでも川に居ようと悪だくみを絶やさない。
日常と足下。
2020.9.28詰まるところ、大事なことはそこだろう。非日常のお祭りではなくて。いつか行ってみたい遠い外国ではなくて。繰り返される日々と、僕らが立っている足下。そこをかたちづくっていくことこそが、何よりも確かな未来を導くのではあるまいか。確信は強まるばかりだ。