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連続講座再び。
2024.11.18調べてみたら、初回は2015年の1月だった。大阪との繋がりが深まっていた頃で、全国でも珍しいクリエイター支援施設のメビックで、新しい講座を受け持つことになった。僕のプロデュースについてお話しする、なんと5週連続講座。そんなこと聞きたい人がいるのか?
新潟秋田青森。
2024.10.30仕事が北上している。昨夏、未踏の新潟に呼ばれたのが始まり。入り口は長岡市だったが、いつの間にか国立長岡技術科学大学のプロジェクトに深入りすることになった。今年7月には、その関係でやはり初の秋田へ行った。今月は別件でお隣の青森へ足を踏み入れた。
色々食べたが。
2024.10.249月から1月にかけて、週1で大阪に通っている。もう6年ほど大阪芸術大学で客員教授をしているからだが、水曜日の朝に家を出て新幹線で上阪。新大阪から地下鉄や私鉄を乗り継いで大学へ。授業が終われば、大学が用意するホテルで1泊。翌木曜日午後、日田に戻る。
美女と会食。
2024.7.14毎日更新しているFBやインスタに、しばしば美女との会食予定や、実際の写真をアップしている。顔はまず出さないから、見ているみなさんは、どれほどの美女なのか気になっているに違いない。特に野郎どもは。他の男がモテてるのは気になるし、なにより癪だからね。
伝える作法。
2024.6.20この世はすべてコミュニケーションだ。繰り返される膨大な意思疎通が、僕らの日々を作っている。家族で、地域で、仕事で、果ては外交で、多様で夥しいコミュニケーションを続けている。伝達、提案、交渉、説得と、その目的によって、精度と強さが変わってくる。
無手勝流。
2024.6.13独学について考えることがある。一般には、いわゆる正統な、体系立った知識やノウハウを学んで、人は新たなスキルを身に付ける。当初は、広大無辺なそもそもの対象への理解や、必要なスキルの修得のきっかけさえ見つからない。となれば勢い師匠を探すことになる。
芸者のお座敷。
2024.3.25なんのことやら。いや、戯れに我が身を振り返るときに、随分フツーとは異なる仕事をしているなあと嘆息することがある。プロデューサー稼業は、早くも30年に近づいて来た。しかも、片田舎で暮らしながらのこの生業。仕事はいったいどこからやって来るのか?
立ちん坊。
2024.3.7多分、高校3年時。バスケ部を勇退して、やりたいことがいくつかあった。図書館通いはそのひとつだが、もうひとつはアルバイト。それは、友人がやっていた立ちん坊という肉体労働。街のある場所にやって来る手配師の提示する条件を選び、現場に行く日雇い仕事。
ホテル暮らし。
2024.1.19また出張が増えてきた。コロナ前にかなり近づいている。流行病のお陰でオンラインは間違いなく定着したが、現地に足を運び、リアルな対面も当然重要で、自ずとホテル暮らしは増えていく。昨年の外泊を数えてみたら39日。年間ひと月余りをホテルで眠っている計算だ。
2024 謹賀新年
2024.1.1年が明けた。僕にとっては68回目の誕生日でもある。還暦を迎えたあたりから、世間的には老人の仲間入りしたという自覚はあるが、どこも悪いところはないし、ジョグも続いているし、老眼もあまりないし、50代に間違われるのはしょっちゅうだし、まあ好きにやるよ。
神社のそばで。
2023.9.25大分県日田市にある大原天満宮のそばに住んで、もう11年目になる。周辺の渓流にヤマメ釣りで訪れ、惹かれ始めて30年を超えた。地元の人々とも繋がって、距離は次第に縮まり、同じ生活圏の隣村で過ごした12年を含めると、日田との関わりはとっくに20年以上だ。
余計な一杯。
2023.8.18時々呑みに出掛ける。そして、ここが適量とわかっちゃいるけど、ついもう一杯とやってしまうのはなぜ?気の置けない仲間と硬軟取り混ぜた馬鹿話と共に呑む酒は、最高に美味しく楽しい。酒は決して強くはないし、たかが知れているけれど、やっぱり今夜ももう一杯。
政治家こそ。
2023.4.19いつの間にかプロデュースが生業になった。全体計画の統括者。最初から、すべてに関われる仕事。そう思ったので、大変なことも覚悟しながら、もう30年近くこの仕事を続けている。もっとも、それまでのコピーライター以上に、皆さんへの説明が難儀この上ない。
山の女と。
2023.4.7山女と書いて、ヤマメと読む。最初に出会ったのが、24歳の春だから、もう随分長い付き合いだ。最初の一匹は、大分県のY川源流で毛鉤に掛かった15センチほどの個体。僕はそれを両の掌に乗せ、河原にひざまずいてしばらく見入ったことを、いまも鮮やかに思い出す。
熾火を残す。
2023.4.1新しいプロジェクトは、突然始まるわけではない。時を遡っていくと、何年も前に思いついたアイデアを、アタマの中で転がし、発酵が進むと、まず親しい人に打ち明ける。反応を見ながら、さらに整理をしたり、表現を再考したり。それを何度も何度も繰り返している。