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抽象的仕事。
2023.9.7プロデュース。わかりづらい仕事のようだ。チームスポーツの監督に喩えたり、オーケストラの指揮者になぞらえたりするが、そこで膝を打つ人はそんなにいない。過去の実績を知って、ボンヤリ納得していただくことが最も多いだろうか。見えるのはそこだけだから。
教室にて。
2023.6.18長く教えているデザイン専門学校の授業は、雑談余談を重視している。柱は、いくつかのテーマに沿った僕の仕事のケーススタディなのだが、切りが悪く間が空いたりすると、迷わずそんな時間になる。入り口は枠をはめない質疑応答。なんでもありというのがポイントだ。
白色光。
2023.5.19リビングの間接照明が切れて、取り敢えずストックがあったLEDに換えた。蛍光色だったので、光が当たる漆喰壁は白けて見えた。明日にでも電球色の球を買いに行こう。そう思わせる嫌悪感がこころに滲む。突然、僕はかつてこんな気分を友に伝えたことを思い出した。
政治家こそ。
2023.4.19いつの間にかプロデュースが生業になった。全体計画の統括者。最初から、すべてに関われる仕事。そう思ったので、大変なことも覚悟しながら、もう30年近くこの仕事を続けている。もっとも、それまでのコピーライター以上に、皆さんへの説明が難儀この上ない。
熾火を残す。
2023.4.1新しいプロジェクトは、突然始まるわけではない。時を遡っていくと、何年も前に思いついたアイデアを、アタマの中で転がし、発酵が進むと、まず親しい人に打ち明ける。反応を見ながら、さらに整理をしたり、表現を再考したり。それを何度も何度も繰り返している。
名医たること。
2023.3.14この世のあらゆる仕事の目的が、課題の解決だとすれば、医者になぞらえるのがより自然な感じがする。症状の原因を突き止め、患部を探り当てる。静養、投薬、注射、手術といった治療法を決め、その処方箋を書き、施術後の経過を観察し、必要あらば善後策を練る。
答合わせ。
2023.2.6プロデューサーの最も大事な役割は、コンセプトとイメージの監修だと思っている。プロジェクトの背骨となるこのふたつを、ありとあらゆる伝え方を試みて、関係者に可能な限りシェアを図るのが、最初の大仕事だ。前者は編集方針、後者はビジョンに近いだろうか。
キャバノンの夢。
2023.1.25いつの頃からか、狭小住宅に憧れている。必要最小限の居住空間。茶室のような住まいと言った方が、ニュアンスはより正確だ。「行く川は絶えずして」の出だしで知られる鴨長明の方丈記。後半は方丈つまりわずか3m四方の庵を編み、そこで暮らす決意が述べられる。
野暮は大罪。
2022.10.29野暮をカジュアルに言うと、ダサい、かな? ダサいのって、良くないよね、という話。ファッションとかそういうのはまだいいとして、罪深いのは仕事を含む大事な局面でのダサいこと。野暮なこと。楽しさや美しさを後回しにする、余白の乏しさとでも言うべきか。
仕事と善悪。
2022.9.7長く教えているデザイン系専門学校や大学で、毎年必ず学生たちに言うことがある。「すべての技術はナイフである」。スキル、ノウハウ、テクノロジー、言い方はさまざまだが、それらすべて、使い方によっては善にも悪にもなり得る。「決めるのはキミたちだよ」と。
視点の移動。
2022.6.27企業にしても自治体にしても、僕ら外部の人間がお手伝いするメリットは、その専門性よりも実は圧倒的に「客観性」だと考えている。組織内の皆さんとは違う視点を備えていることが、実は外部ブレーンの最大の存在意義なのではあるまいか。それほど客観視とは難しい。
実を摘みたければ。
2022.6.1もう20年以上前、自分のプロデュースをいかにわかりやすく説明するかに知恵を絞っていた頃、デザインツリーなる落書きをしたことがある。経営におけるコンセプトと戦略と戦術、そして最終利益との関係を拙いイラストにしたものだが、いまもなかなか重宝している。
お墨付き。
2022.5.5小社Bunboを立ち上げた25年前、広義の編集、プロデュースの可能性にひとり興奮して、ありとあらゆる方面に吹聴していたが、反応は冷ややかなものだった。精一杯理論立てて、言葉を選び、委を尽くして話したはずだったが、結果は連戦連敗。愕然悄然としたものだ。
反Excel 脳。
2022.4.29最初に断っておく。これから展開する珍説は、完全なる個人的偏見である。悪口に聞こえたとしたら、それは明らかに誤解であるし、どうしてもそうは思えないとなれば、単なるオヤジの妄言と、寛容なる御心にて爽やかに笑い飛ばしていただきたい。切にお願いする。
医者として。
2022.4.23僕の仕事は、全体を司るプロデュース業だが、さまざまな制作物が発生し、その監修つまりクリエイティブディレクションも、作業の主要を占める。まず、ヒアリングで事情を把握し、コンセプトワークという考えの整理を経て、なにをすべきかという判断に辿り着く。