
tag:デザイン
応用、転用。
2022.2.13気づけば、もう長いこと「編集」と言い続けている。便宜上、プロデューサーを名乗っているが、本音は編集者だと思っている。ただし、広義のそれ。ページもののコンテンツの話なんかではない。まったくない。対象はあらゆる事象に及ぶ。ホントになにからなにまで。
総合編集。
2022.1.7プロデューサーを名乗っているが、心情的には編集者だ。ただし、広義の編集。などと言ってきた。著者と向き合い、本などを作る職能という意味の従来の編集者像から少し飛躍して、いやかなり飛躍して、より大きく複雑な要素を組み直す仕事。それがプロデュース。
産みの苦しみ?
2021.11.30なにか新しいことを始めようと画策するとき、基本的にモデルは探さない。アタマの中に広がる茫洋混沌としたアイデアを、必死で言葉やイメージに換えようと悶々とする。昨年から進めている西日本新聞社との取り組みが、今まさにそんな感じ。editforestってなんだよ?
要望に応える。
2021.9.7お客様の声に応える。良く耳にするフレーズだ。要望≒ニーズにしっかり応えることこそ仕事との論説は多い。ボンヤリ聞いてると頷きそうになるが、しばらく考えていると果たして本当かなと思い始める。クライアントの口からこぼれた言葉は、そのまま要望だろうか?
才能の使い途。
2021.9.1たまにTVCMを見て、決して多くはないが、面白いなあと感心することがある。コピー、デザイン、演出、企画。クリエイターの端くれとして、うまいなあと唸らされることがある。ただ、ふとその世界観が、缶コーヒーを売るためなのかと気づき、急に切なくなったり。
戦術の固定。
2021.5.7戦略と戦術。この違いを明確に自覚している人は、意外と少ないのかも知れない。何十年も、それが同じじゃなく、加えて戦略の重要性を説き続けた身としては、「誰もがわかっているわけではない」ことがわかっただけでも、時を経た意味はあったのかと思っている。
Howの蓄積。
2021.5.1近ごろ改めて、常識の功罪を考えている。大阪のプロデューサーとやっているYOU TUBEのテーマで「常識と非常識」の回があって、常識を自分なりに解析してみたりした。すると、また少し鮮明になったことがある。実は常識は役に立つ。いや本当。皮肉じゃなく。
editforest発進。
2021.4.3エディットフォレストと読む。和訳だと編集の杜。なんだそれ。まあ、そうだよね。そもそもの始まりは、九州経済産業局のデザイン系のプロジェクト。普通なら、クリエイターが集結するその場に、西日本新聞社が参加していた。それがすでに新しい萌芽だった。
手描き復活。
2021.3.17ずっと気になっていた。PCを触り始めてもう何年になるだろう?いつのまにやら作文は、ペンと原稿用紙ではなくて、キーボードとモニターの作業になってしまった。筆と和紙が、万年筆と洋紙に変わったような、いわゆる道具の変遷とは少し違う。いや、だいぶ違う。
技術の手前。
2021.3.12タイトルを、「情報の手前」にしようかとも考えたが、言いたいことはこちらにもっと近いなと思い、技術の手前にしてみた。情報も技術も、何の前触れもなく忽然と現れるわけではなくて、情報は探している人が見つけ、技術は求めている人が引き出すと思っている。
枠と中心。
2021.2.14コンセプトの話をしているとする。どこからどこまでがOKで、どこからがOUTなのか?と尋ねられることがある。つまり、敵は線引きがしたいのだ。明確な正誤の境界があって欲しいと望んでいる。コンセプトメイクとは、枠を作る作業だと思われているらしい。
無いものねだり。
2021.1.6これは、自分がいま持っていないモノを欲しがるという意味ではない。この世の中にいまだ存在しない何かを欲っする心情のこと。創造性って、要はここなんじゃないかと思う。見たことのない何かを想像し、それを現実化したくなる欲望と能力のカタチがきっとある。
新旧交代その2。
2020.10.24実に良く走った。オドメーターの数字列は、今年に入ってついに23万キロを超えた。九州各地への打合せや出張、さらには魚釣りでの釣り場への頻繁な往復。クルマ屋をしている友人曰く、世界で最も距離を走っているSmartじゃないか。あながち誇張でもないだろう。
科学と詩の間。
2020.10.18最近のドキュメンタリーで、経済学者M.マッツカート女史の提言を聞いた。「企業家としての国家」など、世界的に注目を浴びる気鋭の研究者だが、番組最後のコメントが最も印象に残っている。「これからは、科学者だけでなく、詩人の力も借りなければならない」。
日常と足下。
2020.9.28詰まるところ、大事なことはそこだろう。非日常のお祭りではなくて。いつか行ってみたい遠い外国ではなくて。繰り返される日々と、僕らが立っている足下。そこをかたちづくっていくことこそが、何よりも確かな未来を導くのではあるまいか。確信は強まるばかりだ。