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失敗の話。
2023.12.24あちこちでレクチャーなんぞをする。そこではほぼ必ず質疑応答の時間が用意される。話した内容を深掘りする、聞き手にも話し手にも意義ある時間だ。それはいいのだが、ごくたまに答え辛い質問も投げられる。曰く、成功した話じゃなくて、失敗談をぜひ聞きたい。
ひとり味噌汁。
2023.12.18この春からひとり暮らしが再開して、基本大きな違いはないにしても、小さな変化はいろいろあった。食事周辺もそのひとつ。まず、料理する総量が減った。となれば、買い物の量も減る。当然ゴミの量もそれに準じる。僕の生活のリズムは想像以上に変わった。
フジヤマ。
2023.12.12ふ〜じは、にっぽんいちのやま〜。富士山を見たことのない子供の頃から、この歌は知っている。大人になって、東京に行くようになり、時々飛行機の窓からチラリと見やる程度。それが数年前、縁あって麓の町富士吉田に何度か訪れたことがある。その巨大さに驚いた。
初冬の設え。
2023.12.6ブンボの打合せ室に入る表玄関は、普段の生活では使わないパブリックエントランス。何人かのお客様がいらしても、玄関で鮨詰めにならないようにゆったり作った。素材は三和土。下駄箱の上はちょとしたギャラリースペースで、オブジェが並び、壁には絵が掛かる。
プロモに堕する。
2023.11.27ブランディングという考え方が広まって、もうしばらく経つ。全国各地の自治体にも、ブランド推進課といった地域のブランディングを掲げたセクションが生まれた。僕自身も言葉としてのブランディングは、比較的使う。もちろん、流行に乗りたいわけでは決してない。
要約の落し穴。
2023.11.18コピペの時代だ。原典からの引用は、文字が生まれて以降、古代からあっただろう。それが、デジタルが日常化した頃から激化した印象がある。限られた物書きにとどまらず、格段に増えた情報産業に関わる人たちが加速させ、一般ユーザーが罪の意識もなく拡散する。
江副の樹?
2023.11.12ここのえ低山部の、山の先輩たちに、そんな名前の木があると聞いたときは、もちろん冗談だと思った。いや本当にあったのだ。毎年、必ず春の新緑と秋の紅葉を楽しみに訪れる大分県庄内町男池。有名な湧水から少し歩いた先にこの木はある。見上げるほどの見事な大樹。
深更の思索。
2023.11.6早寝をすると必ず夜中に目が覚める。本当は朝まで前後不覚で熟睡したいのだが、加齢のせいかままならない。そうなればもう開き直って、PCを開いて、電子図書を読んだり、YOU TUBEを渉猟したりする。それは表層の快楽のようでもあるし、深い思索のようでもある。
ロジカル。
2023.10.31タイトルを「思考の整理」にするか迷った。まあ伝えたいことはほぼ同じ。プロデュースに関するレクチャーなんぞをしていると、たまに「なぜ、それを良いと思ったのか?」とか、「自身のアイデアに迷いはなかったのか?」といった問いを投げられることがある。
ムカゴに興ず。
2023.10.25もう毎年のこと。釣りが終わって、10月の声を聞く頃、あちこちで視界に入ってくる。細面のハート型の葉っぱが、急に目に付くようになって、どれどれ実は付いたか?とモードの転換が起こり、つまり秋が始まる。となると、俄然朝の散歩が楽しくなってくる。ムカゴ。
リセット力。
2023.10.1910年近くジョグを続けていて思うことがある。オリンピックに出るようなトップランナーたちは、同じ人間とは思えない異次元のレベルで、僕のような凡庸なジョガーを驚かすが、いったい何が優れているんだろうか。最近なんとなくわかってきた。それは回復力。
映画のように。
2023.10.13いやなに、仕事の仕方についてである。僕の会社ブンボは株式会社だが、経理作業を除けば基本ひとりでやっている。アシスタントがいたこともあったが、毎日出社してもらうようなことでもなかったし。結局、コピーライター時代のフリーランスと何ら変わっていない。
ドングリの音。
2023.10.7毎朝、境内へ通じる百段階段を上がる。そこは両側に大木が生い繁っていて、春夏秋冬さまざまな表情を見せる。春は若葉が萌え出し、夏は鬱蒼とした緑陰が涼を生み、秋は紅葉と落葉がはかなげで、冬は木々が葉を落とし切り、日射しが広がり意外にも明るくなる。
2匹の尺物。
2023.10.1僕の釣りシーズンが終わった。3月から5月までは山女魚のフライフィッシング。6月から9月までは鮎の友釣り。山女魚は14回と例年並みだったが、鮎は長雨に祟られたこともあり、20回と少し控えめだった。もっとも回数ではない。興奮の密度こそが求めるところだ。
関係を作る。
2023.9.19この世はすべて、目に見えるものと見えないものでできている。前者を具象と言い、後者を抽象という。見えるものだけでそれらを解釈し、説明しようとすると、表層をなぞらざるを得ず、当然本質から遠ざかることになる。ありとあらゆるものにこの構図は付いて回る。