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SNSは鍋釜。
2021.7.25表現がいかにも古い。すっかり日常と言いたかったのだが。いや、SNSのことである。デジタルやネットといった新たなテクノロジーが、僕らの生活に入り込んでしばらく経つ。この新参インフラに、直接間接関わりなく生きている人は、いま果たして何人いるだろう?
人間博覧会。
2021.7.19以前、地域系のプロジェクトが複数進んでいるときに、求めるものの高さ故か、突きつけられる課題の難度故か、たくさんの本音が隠しようもなく噴出して、その様をまるで人間博覧会だと表現したことがある。口を突いて出た言葉だったが、我ながら言い得て妙だと得心。
はだかの王様。
2021.7.13前期高齢者になり、それでも悪いところはどこにもなく、毎日元気に過ごしているが、歳を取ることの怖さはいくつかある。なかでも、最悪の恐怖がタイトルのこれ。いわゆる衰えの話とは少し違う。アンデルセンの珠玉の寓話は、いまも僕の心に警鐘を鳴らしてくれる。
花を摘む。
2021.7.7詩人でいたいという想いと関係がある。生きる上でのリスクを後回しにする性向とも繋がりがある。心地よさについてと言うべきか。花鳥風月という物差しもある。僕らは、何に惹かれ、何を手に入れようとして、歩を進めるのか。それは必ず花でありたいという話。
遂に成熟せず。
2021.6.26気分はずっと17歳と言ってきた。若さを保っているというより、いまだ成熟せずといったところ。いや、もう成長の余地はほぼ皆無だろうから、遂に成熟せず、が正しかろう。この感覚は予想できなかった。誰しも歳を取れば、曲がりなりにも、大人になると思っていた。
鮎の夏始まる。
2021.6.14今年もこの季節がやって来た。3月から5月初旬までフライで追っていたヤマメも、僕の中ではシーズン終了。筑後川上流域の鮎釣りは、毎年5/20に催される日田市の川開き観光祭と同時に解禁になる。でも、ヤマメと同じで、解禁日からは動かない。僕の本気は6月から。
天より降りる。
2021.5.26加工品開発の仕事をしていて、時々遭遇する。なぜこの作物なんですか?と尋ねると、JAから薦められたとか、TVで観たけど売れてるらしいとか、返されることがある。自発的に絞り出されることが非常に少ない。それっていかがなものか。そもそもが忘れられていないか。
細胞に染みる。
2021.5.13昔から感激屋ではあった。何にでも興味を募らせ、すぐに感動し、何かと興奮する。生来の特質だと思っていた。ただしそれは、歳を重ねれば、刃物が摩耗するように、徐々に慣れっこになって、いずれ薄れ弱まるものかとボンヤリ考えていた。ところがさにあらず。
戦術の固定。
2021.5.7戦略と戦術。この違いを明確に自覚している人は、意外と少ないのかも知れない。何十年も、それが同じじゃなく、加えて戦略の重要性を説き続けた身としては、「誰もがわかっているわけではない」ことがわかっただけでも、時を経た意味はあったのかと思っている。
一枚の写真から。
2021.4.19いまから37年前に撮影した写真。巨大なサクラマス。僕は当時失業中で、持て余す時間を利用して、この魚の調査に勤しんでいた。晩秋の数週間、防水カメラと借りたビデオを持ち、毎日1人でダム奥の小渓流に通った。ある日の夕刻、幸運にも数枚の撮影に成功した。
キチガイに刃物。
2021.4.13この世には、大小様々な矛盾があるが、軍事政権ほど筋の通らない出来事はないのではないか。まがりなりにも選挙で選ばれた政権が、武器を携えた軍隊に無理矢理乗っ取られて、国民の自由が奪われ、圧政が敷かれる。法律も何もあったものじゃない。それ、政治?
狩猟と農耕。
2021.4.9縄文と弥生とするのは、あまりに乱暴だろうから、基本的なライフスタイルで分けてみた。でも、伝えたいのは人のタイプ、性格の違い、生き様の差といったあたり。近ごろ、いろんな方々と仕事をしていて、こうした根本的な違和感に包まれることが度々ある。
editforest発進。
2021.4.3エディットフォレストと読む。和訳だと編集の杜。なんだそれ。まあ、そうだよね。そもそもの始まりは、九州経済産業局のデザイン系のプロジェクト。普通なら、クリエイターが集結するその場に、西日本新聞社が参加していた。それがすでに新しい萌芽だった。
センサー群。
2021.3.22センス、などという。ファッションセンス、スポーツセンス、言わんとするところはなんとなくわかる。同じ服を着ているのに、同じ動作をしているのに、片方はやたらかっこよく、でも他方はそうじゃないことが、確かにある。ここは衆目一致するところだろう。
品行方正?
2021.2.19品行方正、少なし仁。若い頃はこんなことを言ってふざけていたものだ。生まれてこの方、優等生だったことは一度もない。当時は開き直って、そんな戯言を吐きながら悪友どもと笑っていたのだが、最近の世の中の潔癖性向には、言いようのない違和感を感じている。