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恋は終わらない。
2026.8.17酔わないと書けないようなタイトルになってしまったが、ときめきがいかに大切かというお話。異性との関係性が最もわかりやすいだろうか。結婚してるから、歳を取ったから。そんな理由で魅力的な異性に関心を示さなくなったら、人生は終わり。生き物としてお仕舞い。
夏のワラビ。
2026.6.18春のものだと思っていた。ワラビの話だ。新居に移って、あちこち探索を続けているが、ワラビポイントを2ヵ所見つけた。もちろん、大きくなってシダのごとき風情だが、明らかにワラビである。何気に視線を泳がせていると、おや、新芽があるではないか。夏なのに?
田舎の三年より。
2026.6.11京の昼寝と続く。昔々の都市と地方の情報格差を揶揄したものだ。ネットもなかった頃は、本当にそうだっただろうと想像する。しかし、いまはどうだ?在所に関係なく、ほぼ同じ情報が容易に手に入る。もっとも、本人のリテラシーによるところはとても大きいけれど。
月光の晩酌。
2026.5.28月の光はいい。花鳥風月という美しき指標にも、最後に月が出てくる。花見のように月見をする風雅。新居に移って間もなく、月の光がリビングに差し込んでいた。旧宅でも経験したが、それ以上の煌々たる月光だった。これはバルコニーで月見ができるじゃないか。
46回目の春。
2026.4.10ヤマメの釣り人は、人生を春で数える。僕は、24歳の春に渓流デビューして、早46回目の春を迎えた。当時は北九州に住んでいて、南へ約2時間車を走らせ、英彦山の野峠を越えて、山国川源流に通っていた。忘れもしない最初の1匹は、槻木の藤原という渓で掛けた。
ココロが先。
2026.3.27そして、アタマが後。僕たちは、この真実を忘れがちだ。感じてから、考えるのだ。科学も必ず後追いしかできない。僕が日々の仕事でフル活用しているデザインも、このココロに訴えかける方法論だ。ところが、ココロ先行で暮らしてるのに、つい忘れてしまうんだな。
美と利。
2026.3.6あるとき、ふとこの二文字が浮かんだ。みなさんもそうだと思うが、僕は常にこの世の中を、あるいはその一角にいる自分自身を、いかに合理的に説明できるか、あるいは解釈できるかにくんずほぐれつしている。そして美と利だ。人によってめざす価値の決定的な違い。
OSと自然。
2026.2.26人智を支える見識は、すぐに直接役立つものではない。そんな知のカタチを教養と言う。僕はさらに、それをOSと言い直している。人情はアプリケーションを集めたがるが、本当に我々を救う知の胎盤は、間違いなく堅牢なOSだ。そして、それは子ども時代に作られる。
北の旅情。
2025.12.25演歌のタイトルみたくなったが、今年何度も足を運んだ、東北と北海道。長いこと関東以北は縁がなかったが、ここ数年仕事が北上し、あちこちに出掛けている。東北も北海道も風土が明らかに九州とは違うので、見るもの聞くもの食べるもの、すべてが旅情を誘うのだ。
柚子を食せば。
2025.11.6記憶を甦らせるきっかけはいろいろある。その強弱は人それぞれかもしれないが、味や香りは平均して強いトリガーなのではあるまいか。僕は、味覚も凡庸だし、臭覚に至っては鈍感のそしりを免れない。それでも、刻まれた味と香りがある。それは他ならぬ柚子である。
自然の端っこ。
2025.7.5できるだけ自然の近くで、日々を暮らしたいと思ってきた。四半世紀前からは実践もしている。いま居を構える日田市は、九州北部の臍のような盆地。Googleアースで見ると、まさに緑の山々に囲まれた小さな町。わが家は、その市街地の端っこに位置している。
田舎紳士。
2025.4.29都会に住んだことがない。地方に生まれて地方で育った。もっとも、自然豊かな本当の田舎と言うより、田舎町のような場所が長かった。それが、20代初期に渓流釣りを覚えたことが引き金となり、より田舎に住みたいと思うようになった。決め手はインターネットの出現。
花見と月見。
2025.4.5何を見て生きていくか。お金か、芸術か、自然か、隣の芝生か。それによって人生の彩りは大きく変わる。俗にまみれる暮らしからは到底逃げられないとしても、少しでも花鳥風月を眺めて日々を過ごしたいと思わずにはいられない。幸福感は、風雅の薬味があってこそ。
早春の苦味。
2025.3.12フキノトウを意識し始めたのは、その昔ヤマメ釣りを始めて、各地の山間に通うようになってからだ。街中では縁遠い山の幸がなんだかとてもありがたくて、春の渓流でたくさん採って、蕎麦屋に持ち込んで天麩羅にしてもらったこともある。あの香り、そしてあの苦味。
月光の訪れ。
2025.1.13自宅の周辺は、夜は闇に包まれる。境内横の古い住宅地は、外灯の類も最低限でわずかな明かりを放つだけ。初夏のホタルもだからこその美しさ。静けさとも相まって、とても穏やかな佇まいが気に入っている。中でも、満月の時などはさらにその風情が深まるのである。


