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tag:自然

川に浸かる。

2021.8.26

釣りは水遊びでもある。早春から初夏までのヤマメのフライフィッシングと盛夏手前から秋の入り口までの鮎の友釣り。どちらも川に入る。フライはウェーダーという胴長を履くので、基本濡れない。魚を触って手を洗う程度。一方の友釣りは逆にずっと濡れっぱなし。

by 江副 直樹

行間を掬う。

2021.8.18

わからないことの方が多いはずだ。いや、この世界の話だ。新しく現れる分析や論説、方法論に違和感を覚えることが度々ある。科学や哲学は、それを解き明かそうとする行為だとして、ことビジネスの領域では結論を急ぐが余り、拙速になりがちな印象を受ける。

by 江副 直樹

網で獲れば?

2021.7.31

釣りをしない人に向かって、釣りが好きだけど、なかなか釣れないと嘆いたりすると、何人かは網で獲ればいいじゃないかとのたまう。釣りはするけど、ほとんど食べないんだと言うと、理解に苦しむ表情をされる方も少なくない。魚釣りは、釣ること自体が恍惚なのだが。

by 江副 直樹

花を摘む。

2021.7.7

詩人でいたいという想いと関係がある。生きる上でのリスクを後回しにする性向とも繋がりがある。心地よさについてと言うべきか。花鳥風月という物差しもある。僕らは、何に惹かれ、何を手に入れようとして、歩を進めるのか。それは必ず花でありたいという話。

by 江副 直樹

昔から感激屋ではあった。何にでも興味を募らせ、すぐに感動し、何かと興奮する。生来の特質だと思っていた。ただしそれは、歳を重ねれば、刃物が摩耗するように、徐々に慣れっこになって、いずれ薄れ弱まるものかとボンヤリ考えていた。ところがさにあらず。

by 江副 直樹

いまから37年前に撮影した写真。巨大なサクラマス。僕は当時失業中で、持て余す時間を利用して、この魚の調査に勤しんでいた。晩秋の数週間、防水カメラと借りたビデオを持ち、毎日1人でダム奥の小渓流に通った。ある日の夕刻、幸運にも数枚の撮影に成功した。

by 江副 直樹

縄文と弥生とするのは、あまりに乱暴だろうから、基本的なライフスタイルで分けてみた。でも、伝えたいのは人のタイプ、性格の違い、生き様の差といったあたり。近ごろ、いろんな方々と仕事をしていて、こうした根本的な違和感に包まれることが度々ある。

by 江副 直樹

センサー群。

2021.3.22

センス、などという。ファッションセンス、スポーツセンス、言わんとするところはなんとなくわかる。同じ服を着ているのに、同じ動作をしているのに、片方はやたらかっこよく、でも他方はそうじゃないことが、確かにある。ここは衆目一致するところだろう。

by 江副 直樹

2018年の夏、心当たりのない人物からFacebookのメッセージが届いた。突然の連絡を詫びる言葉から始まるその文章には、「FBで偶然見かけたのですが、もしかして36年前に渓流で出会った江副さんですか?人違いならごめんなさい」とあった。たちまち、記憶が甦った。

by 江副 直樹

右脳と左脳。

2021.1.26

物事は右脳から始まると思っている。感じることが第一義。その解析と言葉化は、左脳が担う。更にこれがデザイン化されるときは、また右脳に渡る。甚だ乱暴な言い方だが、創造とは、恐らくこの両者を往復する中で果たされるんじゃないか。そんな気がしている。

by 江副 直樹

過疎と過密。

2020.12.7

コロナ一色となった2020年。暮らしや仕事にまつわるさまざまな価値観が、根底から揺さぶられた1年だった。中でも世間を賑わせたのは、「密」の文字。感染者が明らかに都市部で多発していることもあって、3密などといった新たなキーワードが生まれ、広まった。

by 江副 直樹

自然を大切にしましょう。子どもの頃から、誰もが何度と言わず聞かされたフレーズ。当然、表立って反対する人はいない。しかし、なぜ?と改めて問われれば、明確に答えられる人は果たしてどれくらいるのだろうか?自明の理のようでいて、実はピンと来ない。

by 江副 直樹

最近のドキュメンタリーで、経済学者M.マッツカート女史の提言を聞いた。「企業家としての国家」など、世界的に注目を浴びる気鋭の研究者だが、番組最後のコメントが最も印象に残っている。「これからは、科学者だけでなく、詩人の力も借りなければならない」。

by 江副 直樹

釣り人はいつも魚泥棒だ。年柄年中、川や海にいる魚を釣り上げることばかり考えている。僕はもう40年来の川の釣り人で、大きなヤマメやアユを一匹でも多く釣り上げることに没頭してきた。何よりも釣りを優先し、少しでも川に居ようと悪だくみを絶やさない。

by 江副 直樹

茶室憧憬。

2020.9.21

茶室のような空間に住みたいとずっと思っている。極小で、シンプルで、そぎ落とされた質素な美しさを備える住まい。ル・コルビジェのニースに近いカップマルタンの別荘、カバノンを知ったときは、洋の東西を問わず、突き詰めればそこなんだと合点がいった。

by 江副 直樹
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

by EZOE naoki

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