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おふざけ老人。
2024.4.26今年も行ってきた。若葉萌える広葉樹の森。大分県庄内町にある男池湧水は、大人気スポットだが、実はその先に美しい森が広がっていて、僕らのお目当てはいつもこっち。春の新緑も素晴らしいし、秋の紅葉もこれまた感動的で、毎年時間をやりくりしては出掛けている。
老々ハイク。
2022.11.5今年で何回目になるだろう。9年程前におふざけで始めたここのえ低山部。キャッチフレーズは「標高と志は低く」。そこで気の置けない仲間たちと、山頂を目指さない気楽な山行きを楽しむようになった。その中でも人気だったのが、湧水で有名な庄内町男池の森。
標高150m。
2021.11.18良く山を登っている。と言うと、まるで頻繁に登山をしているようだが、さにあらず。そこは、大原山と名が付いているので、間違いなく山を登ってはいるものの、地形としてはほぼ「丘」に近い。標高で測れば、わずか150mの盛り上がりに過ぎない。でも、山なのだ。
歩いたねぇ。
2021.11.63日間で28km。歩きも歩いたり。こんなに歩いたことは、過去に経験がない。お仕事である。九州自然歩道の宮崎ルートの一部を歩き、感じたことをお伝えしたり、今後の利活用などを考えるというお題だ。エキスパートに交じり、なぜか僕も参加することとなった。
山の宴再び。
2021.10.31大分は豊後大野の山奥で、釣り仲間と絶品お寿司を堪能した翌週。今度は、九重町の標高1000mの旅館の庭で、創作イタリアンに浸る夜を迎えた。こちらは、ここのえ低山部の夏のお約束。今年は時季が少しずれたが、相変わらずの贅沢三昧。もう、この人たちったら。
あるがまま舎閉店。
2020.4.1寝耳に水だった。20年程通った蕎麦屋。ヤマメ釣りなどで度々訪れる大分県九重町の飯田高原。標高1000mのこの地に、あるがまま舎はある。蕎麦屋だが、珈琲も飲める。マフィンもある。町から離れた釣りの合間にこのメニューは有り難かった。それが閉店。
山上の夜宴。
2019.8.26僕は2年ぶりの参加だった。この山上の宴は、男池散策と並ぶ、ここのえ低山部の主軸の行事になってきた。翌朝、近所の山に登るのが唯一の低山部らしい活動だが、主役は飲食とお喋り。F隊員が営む標高800mにある旅館叶館の、美しく手入れされた庭が宴会場だ。
森でケーキを。
2019.5.75月某日。今年も男池へ行った。今回は、幽霊会員になりかけていたここのえ低山部の部活として。勾配もほとんど無く、登山と言うより、森のハイキングの趣。「標高と志が低い」低山部のコンセプトにピッタリの場所。平日の昼前、行きつけの蕎麦屋に集まった。
赤降り積む。
2018.12.1師走の声を聞く頃、紅葉と落葉は盛りを越え、終盤に差し掛かる。花盛りの春と並んで、秋は高鳴りと胸騒ぎに包まれて過ぎて行く。毎年そうだけれど、今年はより一段と美しい風景が多かった。森はまず、ハゼの赤色から始まって、他の木々に徐々に広がっていく。
森を見に行く。
2018.11.7日常的な朝の散歩、春のヤマメ釣り、夏の鮎釣り。1年中、自然に接しているけれど、さらに見ておきたい風景がある。大分県庄内町にある男池は、類い希な美しい湧水として名を馳せているが、周辺の森の見事さもあり得ないほどの素晴らしい環境だと思っている。
隠棲の夢。
2018.6.1810代の終盤に突如訪れた精神の混乱と落ち込みをきっかけに、ある種の諦観に覆われるようになった。人生なんてあっという間。僕たちは、広大無辺な宇宙の中、瞬くような時間に生きるのみ。ならば、できるだけ俗世から離れて、花鳥風月を友として暮らしてみたい。
晩秋の夜宴。
2017.11.7村にいた頃は、日常的に宴を開いていた。屋外デッキや座敷、キッチンカウンターで、多彩なゲストと楽しいお喋りと料理を楽しんだ。日田に越してからは、家族を取り巻くそれぞれの事情が変わり、随分と数が減った。そこへ来て、昨秋からの逆単身赴任の生活の始まり。
飯田高原LOVE
2016.5.24薄陽差す朝。春の終わりと夏の始まりの境。日中は夏一色。
大分県九重町飯田高原に通い始めて、もう40年程。20歳を過ぎ、自分のクルマを持った頃、やたらドライブをしていたあの頃、九州とは思えないその風景にいたく感動し、虜になった。仕事、住所。人生には変遷が付きものだが、飯田高原LOVEだけはいまも変わらず。
情緒で語る。
2016.5.12花が多かった草いちご。やはり、豊作のようで、赤い実が目立ち始めた。
先週、ここのえ低山部の今年2回目の山行きがあった。今回は、雑誌の取材を兼ねていたのだが、近頃やたらと興味を持たれるここのえ低山部。言葉自体は、言うまでもないが、僕らの発明でも何でもなく、昔からさまざまな方々が、低山徘徊を楽しんでおられる。