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寝耳に水だった。20年程通った蕎麦屋。ヤマメ釣りなどで度々訪れる大分県九重町の飯田高原。標高1000mのこの地に、あるがまま舎はある。蕎麦屋だが、珈琲も飲める。マフィンもある。町から離れた釣りの合間にこのメニューは有り難かった。それが閉店。

3月のヤマメ解禁とともに、訪問頻度が上がる。ところが、今年はLINEかなにかで突然驚きの情報が飛び込んできた。なんでも、今月いっぱいで店を閉める由。数日後、半ば疑いながら立ち寄ってみた。常連が詰めかける店内は、いつもとは異なる空気が満ちている。話は本当だった。店主のYさんは、そば粉がなくなり次第、看板を下ろすと言う。
これまで、ここで数多くの人と知り合った。かつて住んだ東峰村の手仕事舎とも似た、情報と人のメディア。蕎麦を食べ、珈琲を飲み、随分とたくさんのお喋りをした。個性の強い店主と負けず劣らずの常連たち。ここのえ低山部もここが発端だった。この店のお陰で、僕のくじゅう通いはとても充実したものになった。Yさん、永い間本当にご馳走様。

この日は懐かしい顔も。居心地のいい店だった。

奥が店主のYさん。手前はここのえ低山部部長Y氏。

翌日は次男を連れて。最高に旨かったとひと言。

撮影のために、外していた暖簾をかけ直した。

by 江副 直樹 2020-4-1 15:03 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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