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ちょっと素麺。
2025.9.20パスタ、うどん、蕎麦、素麺。麺は1年を通して定期的に食べるが、暑い時季はやはり素麺の出番が増える。また、宴席などが続き、体重増が気になるとき、蕎麦や素麺だけの晩餐は、回復効果も抜群で、時折食している。中でも、夏場の素麺は最も手軽で重宝する。
ネギネギ天。
2025.9.13野菜天が好きである。特にタマネギ。揚げ立てサクサクももちろん旨いが、一晩置いてしっとりとしたヤツも堪らない。前者は、まだ張りがあるのを塩か醬油でいただくが、後者は天丼にして、胡麻や薬味をふんだんに入れ、ツユをさっと回し掛け、ワシワシと掻き込む。
出汁ジャンキー。
2025.8.23日常的に料理をするようになって数年経った。最初はよくある炒め物。肉と野菜を塩胡椒で味付けするワンパターン。育ち盛りの次男とふたり暮らしの期間があって、僕が料理や弁当を作っていたが、その頃からレパートリーを増やしたいと思っていた。和食、特に煮物。
脂身を喰らう。
2025.7.17脂身が好きである。子どもの頃、オヤジが食べていたステーキの脂身を貰うのが楽しみだった。近ごろは、豚肉を食べることが多いのだが、脂身の多いしゃぶしゃぶ用を特に好んでいる。これをシンプルにソテーして、自作のアオサ塩でいただく。これが非常に旨い。
豚肉は脂身。
2025.5.23豚肉が好きである。牛肉も羊肉も好きだが、甘い脂身を持つ豚肉が好きだ。柿豚料理会というイベントをプロデュースしたこともある。だからどうしたと言われそうだが、好きだから仕方がない。料理に深入りする最近も、良く豚肉レシピを試している。定番もいろいろ。
魚肉ソーセージ。
2025.5.17魚肉ソーセージと僕の関係は微妙だ。好物だが、大好物というほどではない。メインディッシュになることはないが、意外と美味しいひと皿になったり、小腹が空いたときに、細身の1本がちょうど良かったり。お菓子ほどの罪悪感はなく、都合のいい間食といったところ。
天ぷら始末。
2025.4.17遂にここまで来た。いやなに天ぷらの話だ。僕のGoogleフォト内に、「自炊生活」というタイトルを付けたフォルダがある。これを見ると2018年春から記録が始まっている。家庭の事情で本格化した僕の自炊ではあったが、いまとなっては新たな愉しみに育ってきた。
早春の苦味。
2025.3.12フキノトウを意識し始めたのは、その昔ヤマメ釣りを始めて、各地の山間に通うようになってからだ。街中では縁遠い山の幸がなんだかとてもありがたくて、春の渓流でたくさん採って、蕎麦屋に持ち込んで天麩羅にしてもらったこともある。あの香り、そしてあの苦味。
粗食礼賛。
2025.2.12ずっと我慢している。食べ物の話だ。かれこれもう40年近く。いまも食欲は旺盛だが、それを解放したらたちまち太る。しかし外食の機会は当然ある。それを忌避するほど野暮ではない。ただ、それを続けると少し厄介なことになる。僕は過去痛風になったことがある。
22年目の柿豚会。
2024.11.30柿豚料理会が始まったのはいつだったか。いまはおぼろだが、僕ら家族が宝珠山村(現東峰村)に暮らしていた頃、そこで出会った若松亮太くんがきっかけだったと思う。共同通信の記者という本業と、地味な風貌からは想像もつかない過激な料理人。すべての始まり。
色々食べたが。
2024.10.249月から1月にかけて、週1で大阪に通っている。もう6年ほど大阪芸術大学で客員教授をしているからだが、水曜日の朝に家を出て新幹線で上阪。新大阪から地下鉄や私鉄を乗り継いで大学へ。授業が終われば、大学が用意するホテルで1泊。翌木曜日午後、日田に戻る。
満腹御法度。
2024.9.12すぐに太る。身体は本当に正直だ。30歳くらいまでは、太らない体質だと思い込んでいた。しかし、そんなのは幻想だった。バスケに没頭してた高校時代は、身長176.5cmで、体重65kg。少し筋肉を付けた20代は、67kg。それが30歳を過ぎるとジワジワと増えていき。
にゃんこ飯。
2024.8.13高校の頃、体育で剣道を選択した。真冬の寒い時期,早朝に恒例の寒稽古があるのだが、その朝だけ食堂がご飯と味噌汁を用意してくれる。僕は迷わず、味噌汁をご飯にぶちまけた。うんめー。すると、僕の回りの同級生たちが、「おまえ、下品やのー」と驚いたのだ。
深夜の蕎麦。
2024.7.20早寝が過ぎて、夜半に覚醒する生活は、もはや日常になりつつある。それは遊んでいるような、学んでいるような、働いているような時間なのだが、時に小腹が空くことがある。普段は小鳥のような粗食を旨としているのに、ここでやにわに放埒を許すわけにはいかない。
料理オヤジ。
2024.5.2010年近く前から、長男の市外進学などに絡んで、自炊をする機会が増えた。ヤツが卒業した後は、日田でしばらく次男とふたりで住んでいて、家事は当然僕の担当になった。そんな彼も昨春から東京で活動する母親と暮らし始めたので、以降完全なひとり暮らしである。


