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美と利。
2026.3.6あるとき、ふとこの二文字が浮かんだ。みなさんもそうだと思うが、僕は常にこの世の中を、あるいはその一角にいる自分自身を、いかに合理的に説明できるか、あるいは解釈できるかにくんずほぐれつしている。そして美と利だ。人によってめざす価値の決定的な違い。
OSと自然。
2026.2.26人智を支えるものは、すぐに直接役立つものではない。そんな知のカタチを教養と言う。僕はさらに、それをOSと言い直している。人情はアプリケーションを集めたがるが、本当に我々を救う知の胎盤は、間違いなく堅牢なOSだ。そして、それは子ども時代に作られる。
北の旅情。
2025.12.25演歌のタイトルみたくなったが、今年何度も足を運んだ、東北と北海道。長いこと関東以北は縁がなかったが、ここ数年仕事が北上し、あちこちに出掛けている。東北も北海道も風土が明らかに九州とは違うので、見るもの聞くもの食べるもの、すべてが旅情を誘うのだ。
柚子を食せば。
2025.11.6記憶を甦らせるきっかけはいろいろある。その強弱は人それぞれかもしれないが、味や香りは平均して強いトリガーなのではあるまいか。僕は、味覚も凡庸だし、臭覚に至っては鈍感のそしりを免れない。それでも、刻まれた味と香りがある。それは他ならぬ柚子である。
自然の端っこ。
2025.7.5できるだけ自然の近くで、日々を暮らしたいと思ってきた。四半世紀前からは実践もしている。いま居を構える日田市は、九州北部の臍のような盆地。Googleアースで見ると、まさに緑の山々に囲まれた小さな町。わが家は、その市街地の端っこに位置している。
田舎紳士。
2025.4.29都会に住んだことがない。地方に生まれて地方で育った。もっとも、自然豊かな本当の田舎と言うより、田舎町のような場所が長かった。それが、20代初期に渓流釣りを覚えたことが引き金となり、より田舎に住みたいと思うようになった。決め手はインターネットの出現。
花見と月見。
2025.4.5何を見て生きていくか。お金か、芸術か、自然か、隣の芝生か。それによって人生の彩りは大きく変わる。俗にまみれる暮らしからは到底逃げられないとしても、少しでも花鳥風月を眺めて日々を過ごしたいと思わずにはいられない。幸福感は、風雅の薬味があってこそ。
早春の苦味。
2025.3.12フキノトウを意識し始めたのは、その昔ヤマメ釣りを始めて、各地の山間に通うようになってからだ。街中では縁遠い山の幸がなんだかとてもありがたくて、春の渓流でたくさん採って、蕎麦屋に持ち込んで天麩羅にしてもらったこともある。あの香り、そしてあの苦味。
月光の訪れ。
2025.1.13自宅の周辺は、夜は闇に包まれる。境内横の古い住宅地は、外灯の類も最低限でわずかな明かりを放つだけ。初夏のホタルもだからこその美しさ。静けさとも相まって、とても穏やかな佇まいが気に入っている。中でも、満月の時などはさらにその風情が深まるのである。
初冬の錦絵。
2024.12.12秋が遅かった。今年ほど紅葉の進行がゆっくりだったことはない。11月上旬、毎年通う大分県庄内町の男池の森に出かけた。噂通り、木々の色づきはさっぱりだった。過去こんな状況は経験がない。暑い夏が長引いて、秋が短いなどという声も聞こえた。もはやこれまでか。
蜩は啼かず。
2024.8.31この夏、不思議なことに蜩の啼き声を一度も聞かなかった。今春のヤマメ釣りでも、彼らの餌となる羽虫が非常に少なかった。結果、過去記憶にないほどの貧果に終わった。蜩が啼かなくても、特に実害はないんだけれど、それにも増して得も言われぬ寂しさが残るのだ。
一木一石。
2024.6.7木を見て森を見ず、とは、視野狭窄や全体観の欠落を戒める名言だが、これは部分と全体の因果関係の重要性を諭す至言でもある。森の一木が、その森の風のあり方を決め、川の一石がその川の流れを決める。1本の木の植え方、1個の石の置き方が与える影響について。
11年目のウサギ。
2024.6.1数日前の午後。いつもの尾根道をジョギングしていた。例によって、復路の上りを喘ぎながら走っていると、視界の左端に小さな動くもの。地を跳ねる鳥かと思ったが、挙動が少し違う。近づいていくと、なんと野ウサギだった。しかも子ども。ついに見つけた、と思った。
ホタル散歩。
2024.5.14GWが終わってしばらくすると、この時季ならではの愉しみが訪れる。ホタルだ。日田に越してくる前に住んでいた隣村では、山上に住まいがあったこともあり、周辺にはたくさんのホタルが飛んでいた。街に近くなる新居では、もう見られないかもと覚悟をしていた。
おふざけ老人。
2024.4.26今年も行ってきた。若葉萌える広葉樹の森。大分県庄内町にある男池湧水は、大人気スポットだが、実はその先に美しい森が広がっていて、僕らのお目当てはいつもこっち。春の新緑も素晴らしいし、秋の紅葉もこれまた感動的で、毎年時間をやりくりしては出掛けている。


