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質と量の話。
2025.7.23忘れた頃に、またぞろ浮かび上がって来るこのテーマ。主に仕事領域で対峙することが圧倒的。遊びなら、こんなこと考えること自体が野暮だから。でも仕事なら、限られた時間と予算のなかで、最善パフォーマンスを考えるときは、厭でも考えざるを得ない。
脂身を喰らう。
2025.7.17脂身が好きである。子どもの頃、オヤジが食べていたステーキの脂身を貰うのが楽しみだった。近ごろは、豚肉を食べることが多いのだが、脂身の多いしゃぶしゃぶ用を特に好んでいる。これをシンプルにソテーして、自作のアオサ塩でいただく。これが非常に旨い。
与件に塗れる。
2025.7.11まみれると読む。与件とは、すでにそこにある現状のこと。僕の繰り言のひとつに、世のいい企画はすべて前提をいじっている。というのがある。現状とそこに至る経緯の説明を受けて、なんら遡ることなくそのまま新たな穂を継ごうとするなんて、革新とはほど遠い。
自然の端っこ。
2025.7.5できるだけ自然の近くで、日々を暮らしたいと思ってきた。四半世紀前からは実践もしている。いま居を構える日田市は、九州北部の臍のような盆地。Googleアースで見ると、まさに緑の山々に囲まれた小さな町。わが家は、その市街地の端っこに位置している。
循環こそ鍵。
2025.6.29鮎の友釣りは、俗に循環の釣りと呼ばれる。やってみると、身に染みる言葉である。友釣りは、鮎の縄張り意識を利用して、囮の鮎に鉤を忍ばせ、体当たりしてきた鮎を掛けてしまう実に変わった釣法だ。最初の囮は、釣具屋で養殖鮎を購入するという滑稽はともかく。
古希の約束。
2025.6.23先日、ボディピアスやタトゥを施した教え子の若い女子たちと話していて、実はオレ、40年ほど前にピアス開けたことあるという告白をしたら、想像以上にウケて嬉しくなった。また、タトゥもやるならデザインは決めていると言ったら、さらに盛り上がった。
因果な性分。
2025.6.17ふと気づく。自分は根本的に怠け者だと信じていたが、必ずしも易きに流れているわけではない。わざわざ厄介なことに首を突っ込む部分もかなりあると思い直した。例えば魚釣り。ヤマメのフライフィッシング、鮎の友釣り。魚を獲るだけならもっと簡単な方法がある。
無線が好き。
2025.6.11昔のハム無線愛好家のことではない。別タイトルなら、配線が嫌い、だろうか。普段使いのiPhoneは、充電時以外はずっと無線状態。僕の外付け脳みそのようなMacも、外に持ち出せば当然そうなる。その心地いいこと。Wi-Fiに加えてAir Playとか、快適度は上昇中だ。
テンプレなし。
2025.5.29仕事に関しては、特にそうだが、プライベートな生活までそんなことしてたら、きっと身が持たない。仕事では常にゼロイチを意識するが、普段の暮らしはテンプレ、あるいは先行モデルの選択を繰り返していると思う。釣りにしても、料理にしても、自分の発明じゃない。
魚肉ソーセージ。
2025.5.17魚肉ソーセージと僕の関係は微妙だ。好物だが、大好物というほどではない。メインディッシュになることはないが、意外と美味しいひと皿になったり、小腹が空いたときに、細身の1本がちょうど良かったり。お菓子ほどの罪悪感はなく、都合のいい間食といったところ。
牧野ワールド。
2025.5.11画家牧野伊三夫氏との初対面は12年前。当時暮らしていた山奥の陋屋に、画伯の友人たちと共にお運びいただいた。なんでも、仕事で関係のある飛騨と、生まれ育った九州にある日田を繋げる企みがあるとかだったが、僕は訝っていた。多分断るだろうとも思っていた。
疑り深い。
2025.5.5これに、しつこいというのも加わる。プロデュースをする際に、とても大事にしているスタンスの話。疑り深くてしつこい。なんだか、性格としては果たしていかがなものかという気がするが、仕事をする、いや生きる上ではとても大事なことのようにも感じるのである。
田舎紳士。
2025.4.29都会に住んだことがない。地方に生まれて地方で育った。もっとも、自然豊かな本当の田舎と言うより、田舎町のような場所が長かった。それが、20代初期に渓流釣りを覚えたことが引き金となり、より田舎に住みたいと思うようになった。決め手はインターネットの出現。
事情を超えて。
2025.4.23事情はわかる。ただそれを受け入れてしまったら、何もできない。衰退を遠ざけるには、不断のアップデートが不可欠だが、それを止めてしまうのが諸般の事情というヤツだ。イノベーションとは、慣習や常識から抜け出す振る舞いのこと。進化とは更新と言い換えられる。
天ぷら始末。
2025.4.17遂にここまで来た。いやなに天ぷらの話だ。僕のGoogleフォト内に、「自炊生活」というタイトルを付けたフォルダがある。これを見ると2018年春から記録が始まっている。家庭の事情で本格化した僕の自炊ではあったが、いまとなっては新たな愉しみに育ってきた。


