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なぜ魚釣り?
2018.2.25今年もあと数日で、ヤマメ釣りの解禁。3/1。全国で地域差は多少あるが、ほぼ同じこの佳き日にシーズンが始まる。僕は、いつの間にか齢を重ねて、ついに39年目に突入。今年も初夏まで、悲観と楽観の滑稽な往復を続けるのだ。あ、その後の友釣りも、それは同じか。
晩秋の夜宴。
2017.11.7村にいた頃は、日常的に宴を開いていた。屋外デッキや座敷、キッチンカウンターで、多彩なゲストと楽しいお喋りと料理を楽しんだ。日田に越してからは、家族を取り巻くそれぞれの事情が変わり、随分と数が減った。そこへ来て、昨秋からの逆単身赴任の生活の始まり。
夏が逝く。
2017.10.2朝の散歩が、もう半袖では辛くなった。いつの間にやら、夏は姿をくらましている。毎年思うのだが、9月に入った頃は、まだ夏は真っ盛りで、日中は炎熱の中にある。それがいつの間にか秋は忍び寄っていて、朝晩が急に寒くなったりする。夏は知らぬ間に逝く。
野外スカイプ。
2017.9.26働き方については、ずっと考えてきた。いまも考えている。世間では、企業に勤めるサラリーマンが、なんとなくスタンダードになっている感があるが、それはあくまでも近代の、ごく一時期の話であって。どうせなら、そんな事情とは無関係に模索してみたいものだ。
雨に沈む夏。
2017.9.1雨、雨、雨の夏だった。ピークは、梅雨明け切らぬ7月の初旬。全国ニュースとなった福岡県東峰村周辺の豪雨禍。日田と県境を挟んでいるが、エリアは実は同じ地域。降り始めの前日、僕は福岡にいて、翌日はまさに渦中の花月川に鮎釣りに行く予定だったのだ。
釣りの知性。
2017.8.27フライフィッシングは40年近く。鮎の友釣りは10年余り。各々が、欲に押された釣り人の知恵の集積。中でも、友釣りのシステムは、驚くべきアイデアの宝庫。そもそも、岩に着いた苔しか食べない魚を釣ってしまう発想に驚愕する。縄張りの習性を利用するなんて。
物々交換。
2017.7.17赤銅色に焼けた顔に掛けたサングラス姿が、黒人歌手のレイチャールズに似ているというだけで、そのIさんが手塩にかけている畑を、勝手にチャールズ農園と呼んでいることは、前にも書いた。そのチャールズ農園には、いつも季節の野菜がたんまりと実っている。
行状の告白。
2017.6.16ヤマメのフライフィッシングを覚えたのは、いまから37年前。当時の僕は、実家の米穀店で働いていて、休みは日曜と祝祭日のみ。冬の禁漁期間を除くと、最初の3年間の休日はすべて釣りに費やしたように記憶する。それから数年後、僕はコピーライターになっていた。
終わりは必ず。
2017.4.3今年の桜は例年に比べ、開花が遅かった。それでも、4月に入って蕾がほころび始めたら、もうあっという間。毎年毎年、僕を陶然とさせる花模様が、行く先々で繰り広げられる。そして、満開の少し手前から、早くも花は散り始める。始まりは終わりの合図でもある。
川へ行こう。
2017.3.63月。またこの季節がやってきた。ヤマメ釣り解禁。釣り人の正月。24歳の春から始めたフライフィッシング。病膏肓に入って、はや幾星霜。いまだに熱病は回復の兆しを見せず、季節が巡ると、毎年重篤な症状をぶり返している。多分、動けなくなるまでこうなんだな。
希望を追って。
2017.2.11僕らは、何をエネルギーに生きているんだろうと考えることがある。肉体を維持する食べ物や飲み物は当然だが、足を前に踏み出すその意志はどこから来るのか。生理的欲望が後押しをし、それが充足されることを繰り返す。それを営みと呼び、日々と形容するのだろうか。
恥ずい自撮り。
2016.10.10曇り。夏以降、最も寒い朝。長袖とスパッツでジョグ。
コンデジ、つまりコンパクト・デジタルカメラを持ち歩いている。持ち歩きたいから、レンズの大きな一眼レフは持たない。朝起きて、夜寝るまで、心に留まったモノをなんでも撮る。そのうちの何枚かは、FBやインスタに上げるが、大半はMacに格納される。
少年の夏。
2016.8.7最高気温が全国ニュースになるような日、実は朝晩は涼しいことが多い日田盆地。
僕らは、いつ少年になるのだろう。子供たちが夏休みになると、そんなことを思うことがある。昭和30年代と40年代のはじめ、僕は1年中、虫や魚を追いかけていた。学校とも家庭ともまるで違う、自然の中で過ごす濃密な時間。蝉の声が、遠くから聞こえてくる。
川を見に行く。
2016.7.27盆地気候は朝は涼しい。出発が早いときは、早朝にジョグ。コツコツと。
豊後大野の臼田邸に泊まった翌朝、クルマに乗って予め予定しておいた川へ向かった。祖母傾を源流とするその川には、春から初夏まで何度かフライロッドを持って足を運ぶ。水質はピカイチで透明度は群を抜く。そこに棲むヤマメと同じくらい魅力的な場所なのだ。