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しばらく前に、仕事上のおしゃべりで、仁義の有無という話題が中心に上ったことがあった。常日頃、不義理を体現している僕が言うのも大いに憚られるが、伝えたいのはそっち方面のニュアンスではなくて、明文化もされていない根源的不文律のような話。

ルールや法律に抵触するか否か、つまり合法非合法が行動の基準になるような野暮。法律の整備を、進化のようにお考えになる向きもあるが、これは明らかに退化だろう。自己判断で問題を解決することの放棄。近代社会は、刻々と法律の数を増やしている。微に入り細に入り。いや、そうではなくて、もっと肌感を信頼した善悪判断が正しいんじゃない?
古人は、それを仁義と呼んだのではないか。相互を尊重することの意義をわかっていたのではないか。互いの心情を慮る方が結局うまく行く。かと言ってそれは、相手におもねる「忖度」とは別次元のものだ。行動規範をお天道様とするか、降りてきた人工法にするか。僕らの誇りを保ち、なにより心地いいのはどちらだろう。最近、目に余る仁義の欠落。

神々はこの惨状をどうご覧になっているか。

by 江副 直樹 2022-7-3 10:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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