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雲を掴む。

2012.8.3

標高1000m超の高原の温泉宿。ときどきの上げ膳据え膳で、父母は息を吹き返す。

空が好きだ。雲が好きだ。抜けるような紺碧の空に、純白がぎゅっと詰まったような雲が浮かんでいると、飽きもせずに眺めたくなる。夜明け前、ピンクやオレンジに染められる朝焼け。夕刻、朝焼けに赤を強めたごとき、あるいは青を混ぜ込んだごとき終わりの空。

雲。所詮それは、空気中の水蒸気の集まったものらしい。もくもくと湧いてくる真夏の入道雲も、歓迎されない黒々とした雨雲も、いつの間にか消え去って、そしてまた集まって来るのである。雲散霧消とはよく言った。ときに、アイデアの評価に、雲を掴むようなと形容することがある。想像を超えた抽象、大き過ぎる話が揶揄されるときに用いられる。
先頃、インタビューに応えて、プロデュースの仕事は、最初から到達イメージを持っていなくては務まらない旨の発言をした。よくまあ偉そうにと思うが、内容にウソはない。それこそ雲を掴むような言説を振り回すことから、いかなるプロジェクトも産声を上げるのだ。見たことのない、聞いたことのない、遠くて、かすかな雲を掴み取らねばならない。

明日はもう村に帰り、夕方ジムを経由して人に会う予定。雲はたちまち現れる。

やまなみハイウェイ。

30年以上惹かれ続けている大分県九重町飯田高原。くじゅう連山にかかる雲。

月にかかる雲。

三俣山の上に月が出た。そこに流れる雲がかかったり、外れたり。時々刻々。

日の出の三俣山。

夜が明ければ、朝陽に押されるようにして、雲が動く。夏とは思えない涼しさ。

森の上の雲。

雲をつくるのは海と森だと思っている。蒸散する水分が上昇気流に乗って。

 

by 江副 直樹 2012-8-3 22:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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