誇りこそが。
2016.8.238月も下旬に入り、朝晩が涼しくなった。但し、日中はまだ夏の盛り。
誇りが気になる。その言葉は、子どもの頃から知っているし、使ったこともあったけれど、ここへ来て、その重みが日に日に増している感触なのだ。近年、地域系の仕事をしていて、たまに「何を持って成功と考えるのか」という問いをもらうことがある。
その時は、必ずこう答える。「その地に住む人たちが、そこに暮らすことに誇りを持っていること」。年収など世間一般の物差しは、所詮目安でしかない。要は、自らを自信を持って肯定し、他所が眩しく見えないこと。何度もそんな発言をするうち、これはあらゆることに通じる話だと思い始めた。誇りを持てない状態は、幸福とはほど遠い。鍵はきっと誇り。
個人単位でも、地域単位でも、国単位でも。卑屈や屈辱、劣等感がはびこっていては、経済指標がどんなに高くても、誇りは持てないだろう。僕の田舎者の定義は、他所に宝や答があると思っている人のこと。在所ではない。誇りが持てない心情のことだ。オリジナリティの重視もまた同じ。二番煎じを否定するのは、誇りが宿らないからだ。守るべきは誇り。
毎日のように、自治体のお客様が続く。僕の方法論が活かせるものならば。
by 江副 直樹 2016-8-23 22:10