習いと学び。
2019.7.29他人様に教えるなんて、消え入りたいくらいおこがましい心持ちになる。まずこれが前提。でも、振り返って見ると、曲学阿世の身ながら、あっちで喋り、こっちで話し、教師としての仕事がとても増えている。そんな中で想うことがある。突出した人材は育てられるか?
こんな人材がこんな才能がもっといればと、世には教育によって計画的に望む人材を育成しようとする傾向がある。こうした情動は、古今東西繰り返し現れる。でもどうだろう?一定のプログラムを履修したら、自動的に画期的人材がそこに立ち現れるなら最上だけれど、果たしてどうか。知識や技術は伝えられる。だが、欲しいのは新たな知恵を生み出せる人。
教室では、僕はこんな人間で、こんな風に世の中を見て、こうしたらいいのではと考え、こんな感じに仕事をしていると伝える。刺激を与え、思考の習慣を説き、共感や興奮といった化学反応を醸成する。条件となるのは旺盛な知的好奇心だが、そもそもこれをいかに育てるか。すべては自然、芸術にあるような気がする。学生諸君、習うんじゃない、学ぶんだ。
by 江副 直樹 2019-7-29 5:05