知識と知恵。
2014.11.18連日の濃霧の朝、山間盆地の典型的な初冬の風景。起き抜けのミルキー、悪くない。
僕らは日々を生きていて、様々な大小の問題課題に行き当たる。それらを解決すべく呻吟するわけだけれど、そこで力を発揮するのは知恵である。知識があれば解決するわけではない。どれだけ溢れるほどの知識があっても、それだけで何かが起こることはない。
知識は道具に似ている。誰かが手に持ち、一定以上の技術で活用しない限り、それは静かなオブジェにとどまる。道具がなく、丸腰だと、できる仕事も限られるから、知識=道具はあったほうがいい。しかし、道具を詰め込んだ巨大な道具箱を幾つ揃えようとも、作業は始まらない。世に巣食う一部の評論は、尊大に道具の説明をしているだけなのではないか。
僕が嫌いな事情通とは、知識ばかりを雑然と集めた滑稽な倉庫かも知れない。小さくとも、活き活きとした工作室が欲しい。知識は整理され、体系化され、使い勝手が高まる。整理のかたち、体系化の仕組みこそが知恵なのだろう。筋肉を動かすのは、神経とそれを司る大脳だ。知恵は解決のために知識を編集する力。つまり編集脳。ここを鍛えたいものだね。
by 江副 直樹 2014-11-18 22:10