無難と退屈。
2017.9.19危険を避けたがるのは、人間の本能だ。生き延びたいのは誰も一緒。だが一方で、楽しく生きたいとも願っている。それは人情というものだ。とは言え、昨日と今日がまったく同じルーティンな日常には刺激や興奮は少ない。そこに新しさを伴った非日常が欲しくなる。
ところが、変化には宿命的に不安定がつきまとう。少なくない人が、この未知なる不安に負けて、保守に回る。そんな方々は概ねこんなことをおっしゃる。曰く、確実に安全で、しかし刺激に満ちた未来があるのなら、迷わずそこへ飛び込むと。もちろん、そんなものは論理的にも存在しないので、昨日と同じ今日と明日を生きるしか道はない。不満を抱えつつ。
無難とは、退屈とほぼ同義。想定されるすべてのリスクを回避するなら、恐らくなにもしないという結論しか待っていない。ちょっといかれた1匹目の猿は、なぜかこの退屈を死と同じように怖がる。実を言えば彼らは、退屈の先にはまごう事なき終末が口を開けていることを直観で気付いている。真の恐怖を感じている。茹でガエルの喩えを思い出す秋の夜長。
by 江副 直樹 2017-9-19 8:08