
毒気の研究。
2014.2.2今朝は少しだけ冷えたが、しばらく歩くと暑くなる。春は徐々に来て欲しいなあ。
近頃気になることがある。社会の傾向として、過剰な純粋というか、過度の潔癖というか、純度が上がっているように見えながら、それはもしかしたら退化、あるいは幼児化ではないかと思えることが増えてきた。言うならば、毒気の消失。ちょっと怖い、いやかなり怖い。
政治家にクリーンさばかりを求める。清濁合わせ呑む実力は顧みられない。子どもを天使のように扱いたがる。厳しさを伴わない愛情は、愛玩に近い。若いミュージシャンが親孝行をストレートに歌う。表現は常に深さと捻りを備えていて欲しい。他にも、一方的に、べき論や正論を押しつける。強さより優しさを歓迎する。直観より数字が大手を振る。等々。
この感覚を言葉にするのは、非常に難しい。裏のない表はない。影のない光もない。雑然や曖昧やいい加減の中に、実は大きなアイデアの海がある。近代日本は、純度を高めることで、実は脆弱さを招いているのではないか。古来より、清水に魚棲まずという。隅々まで塵を払い、掃き清めたはずが、なぜか息苦しさが充満する矛盾。毒が恋しい今日この頃。
明日は村の分母庵から最後の荷物を運ぶ。これで完全に新拠点への移動が終わる。
by 江副 直樹 2014-2-2 22:10