手続きと形式。
2015.1.4山陰や谷の底にはまだ残雪が見られる。雪に降り込められた三箇日は良かったなあ。
新たなアイデアは、常に曖昧さを背負っている。革新的な変化は、常に抽象から始まる。実績なんてあるはずもないし、前例が容易に見つかるなら、それは新しくないと宣告されたようなものだ。根拠がたちまち明快に答えられたら、それはすでに陳腐な匂いがする。
生命を胚胎するのは、あれもこれもが潮流渦巻く海のごとき混沌からだ。整然と列を成し、特定の言葉が共有され、体系化が進んだアイデアは、仕組みとして成熟するかも知れないが、もはや斬新な突破口は用意できない。維持さえできればいい大平の時代には向いていても、課題山積の時代にはその非力さを晒すことになる。その象徴は手続きと形式。
状況が曖昧なとき、構想が抽象的なときは手をこまねいて、それが可視化され始めると途端に理解した気になり、手持ちの形式のどれかに無理矢理当てはめる。さらにそれらを、既知のルーチンの中に落とそうとする。まるで事務手続きのように。気づけばどこかで見たようなフツーの様相に。分かれ目は、感覚でしか扱えないアイデアを尊重できるか否か。
美食と酒の日々を長い散歩で洗い流す。越年の宿題も少しずつと行きたいところだが。
by 江副 直樹 2015-1-4 20:08