
常識を脱ぐ。
2019.7.23常識に囚われてはいけない、などと言う。一方で、そんなの常識でしょ?とも言われることもある。常識から本気で自由になると不自由なことも多々。常識とは、生きていく上で覚えておくべき社会的なルールや作法でいながら、その中に住むと不便で退屈なことがある。
学生たちには、常識の手前にいるのは非常識に過ぎず、そこを超える超常識であれと言っている。知った上で、無視する柔軟さと強さがあるか否か。プロデュース業でなくとも、仕事の多くは課題解決がその本質だが、普通の生活を行うために必要な常識が、ここでは邪魔になることが甚だ多い。斬新なアイデアをダメにする陳腐な栄養とはこの常識のことなのだ。
状況と前提が変わり、それに合わせた新たなルールや作法が編み出され、時間を掛けて一般化したものを常識あるいは普通という。常識が経験のない課題に効かないのは、まさにそれが理由だ。人並みの見識なら、常識内で賄えるだろう。しかし、未知の問題を解く答は、常識の中には転がっていない。困ったことがあったら、まず常識を脱ぎ捨ててみることだ。
by 江副 直樹 2019-7-23 5:05