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東北から九州へ戻る。あちらはまだ夏の名残りで、こちらも汗ばむ陽気。秋は足踏み。

2011年、3月11日のことは、忘れることができない。普段滅多に見ないテレビから飛び込んできた信じがたい映像。愕然とし、無力感に苛まれた。日本人ならすべての人が同様の感情に沈んだだろう。何かをしなければと思ったが、何もできなかった。2年前の苦い記憶。

たくさんの方が、支援に乗り出した。僕の友人たちもそれぞれの復興のかたちに取り組んできた。僕はぼんやり、いますぐじゃなく、いつか何かできるんじゃないかと思っていた。それが今回の訪問だったかも知れない。古い友人で、直後からここ女川に通い、「震災リゲイン」という支援紙を発行している相澤久美氏が僕にこの機会をつくってくれた。
僕があちこちで進めている地域活性化の方法論が、これからの現在の東北に活かせるのではないか。そんな視点で、今回女川のキーパーソンを紹介していただいた。若き町長にもお目に掛かった。想像以上の好反応でホッとしたが、もちろんそれがかたちになるのは、これからの進み方次第だ。また何度かお邪魔するような気がする。何かお役立てれば。

明日は次男の運動会。早朝のテント立て。夜は久々の高原の定宿へ。少しゆっくり。

生々しい爪痕。

女川港周辺は、更地のようになっていて、重機が動き回っていた。ここにあの波が。

至る所に慰霊碑。

あちこちで慰霊碑や祭壇が目に付いた。当たり前だ。女川では1000人もの方が犠牲に。

未来を見つめる。

現実を引き受け、復興に走り回るお二人。鈴木氏(左)と阿部氏は、未来を見ている。

さらに出会いが。

手前は女川の水産業について語ってくれた岡氏。その隣が相澤氏。さあ、これからだ。

 

 

 

by 江副 直樹 2013-9-21 22:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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