
報告の宿命。
2015.9.14平戸から戻り、今日は淡路へ。出発前の散歩はもう長袖が必要だった。
さまざまな仕事をしていても、共通することは想像以上に多い。そこから、知らず知らず原則や公式を導き出していることがある。自らの思考の整理として、わが方法論のメンテナンスとして、時折繰り返す。今回は、会議などで見られる報告の落とし穴について。
僕のプロデュースは、毎月の定例会議を中心に進めていく。そこで課題抽出をし、その解決策を探し、その進捗をみなで共有する。それが本来。ところが、ひと月ぶりのプロデューサー登場なので、空白を埋めるべく報告が行われる。経緯の概略は掴んでおきたいから、ありがたいことなのだが、報告というのはいつの間にか、一定の傾向に陥っていくのである。
目線合わせのはずの報告が、あれもこれもと長大になる。さらに、人情としていいことだけを伝えたいという感情が働く。担当者は、批判を受けそうなものは、ついつい主題から外したがる。課題が見えづらく、議論の時間が削られて、定例会議はいつか株主総会のようになる。貴重な会議は課題解決に向けた議論の時間に当てようじゃないか。ねえ、みんな。
淡路の会議はうまくいってる。明後日はブレーン誌の鼎談に出席。釣りに行かねば。
by 江副 直樹 2015-9-14 22:10