トイレは図書室。
2011.6.15梅雨がいまは梅雨なんだと強い主張を繰り返す。上がったのも束の間、また本降り。
忙しさの基準、その臨界点は人それぞれだと思うが、僕は思うように釣りに行けない時に加え、読みたい本をじっくり読めない時という目安がある。ここがうまくいかない状態は、なにかが間違っていると考えるようにしている。人生設計の失敗とか。
釣りに比べれば、読書は合間合間の時間を拾って、項をめくることができるから、工夫次第でなんとか好転させられるはずだ。日常生活の中での筆頭は、やはりトイレのひとときかと思われる。毎朝、一定時間を鎮座して過ごすのだから、その際に本や新聞が手に取られるケースは多いだろう。分母庵のトイレにも本を積む台と、柱にはラックが備わる。
とはいえ、読了まで座り続ける時間も体力もないし、読書は常に細切れで行われる。しかも、複数の書籍を巡回したり、まったくもって落ち着きがないが、活字を追ってのしばしの没入は、朝食後の欠かせぬ愉しみになっているのは疑いがない。発展途上のわがライフスタイル。日々の暮らしにたっぷりの読書が織り込まれるのは、さていつの日か。
明日は1日デスクワークになりそうな予感。腹を括って集中するしかあるまいて。
by 江副 直樹 2011-6-15 22:10