tag:旅
ホテルスキル。
2025.10.10ホテルに良く泊まる。去年数えたら、年間60泊以上している。一年の内、2ヵ月は外泊している計算だ。それが10年以上続いているので、比較的ホテルを利用している方だろう。これくらい頻繁にホテルを使っていると、ホテルの善し悪し、使い方のコツなども見えてくる。
新幹線スキル。
2025.8.30来月からまた週1の大阪通いが始まる。大阪芸術大学で、デザインプロデュースという新しいテーマを教える羽目になって、早7年目。移動は新幹線だが、9月から1月まで、都合15回ほどなので、100回以上は往復していることになる。予約の取り方も随分上手くなった。
楽しきドサ回り。
2025.8.16いつの頃からか、やたらと旅に出ている。仕事がプロデュースになってから圧倒的に増えたと思う。遠くは飛行機、新幹線、繋ぎのローカル線や高速バスの組み合わせ。隣県までならだいたいクルマ。旅のお伴にお気に入りのリモワを連れて、コロコロ転がし、東奔西走。
22年目の柿豚会。
2024.11.30柿豚料理会が始まったのはいつだったか。いまはおぼろだが、僕ら家族が宝珠山村(現東峰村)に暮らしていた頃、そこで出会った若松亮太くんがきっかけだったと思う。共同通信の記者という本業と、地味な風貌からは想像もつかない過激な料理人。すべての始まり。
連続講座再び。
2024.11.18調べてみたら、初回は2015年の1月だった。大阪との繋がりが深まっていた頃で、全国でも珍しいクリエイター支援施設のメビックで、新しい講座を受け持つことになった。僕のプロデュースについてお話しする、なんと5週連続講座。そんなこと聞きたい人がいるのか?
移動の時間。
2024.11.6コロナの収束後、またぞろ移動が増えてきた。リモートはそれはそれで定着しているので、要は仕事の総量が増え、現場が遠方に広がっているということだろう。戯れに、今年1年の外泊数を数えたら、59泊。ほぼ2ヵ月じゃないか。調べたら、昨年より20泊増えていた。
新潟秋田青森。
2024.10.30仕事が北上している。昨夏、未踏の新潟に呼ばれたのが始まり。入り口は長岡市だったが、いつの間にか国立長岡技術科学大学のプロジェクトに深入りすることになった。今年7月には、その関係でやはり初の秋田へ行った。今月は別件でお隣の青森へ足を踏み入れた。
息子の帰郷。
2024.9.18長男が2年振りに日田に帰って来た。友人たちに、大分や日田、福岡で会うその間に、一夜とその翌昼まで一緒に過ごした。この冬で24歳になる息子は、いつの間にかまた少し背が伸びて、オシャレにも個性が見えてきて、相変わらずいろんなことを考え続けていた。
2本のストレッチ。
2024.5.26暮らしている大分県日田市から、日々あちこちに出掛けている。圧倒的にクルマによる往来で、勢い日常的に高速に乗ることになる。大半は上り、つまり福岡方面で、鳥栖JCから北上すれば福岡、西進すれば佐賀長﨑といったところ。下りはほぼ別府や大分に向かうとき。
芸者のお座敷。
2024.3.25なんのことやら。いや、戯れに我が身を振り返るときに、随分フツーとは異なる仕事をしているなあと嘆息することがある。プロデューサー稼業は、早くも30年に近づいて来た。しかも、片田舎で暮らしながらのこの生業。仕事はいったいどこからやって来るのか?
狩猟の民。
2024.3.13生き方のタイプや人のキャラを言い分けるのに、狩猟型か農耕型という表現がある。前者は縄文的で、後者は弥生的といった線の引き方もあるだろう。僕自身は、縄文的な狩猟型の方に少なからぬ魅力を感じていて、若い頃はそんな人生を生きたいとボンヤリ思っていた。
ごはん主義。
2024.2.12とにかくごはんが好きである。お米を炊いた白ごはん。お酒を呑んでいても、最後はごはんを食べたくなる。焼肉なんて、ごはんがなかったら、魅力半減。純粋な肉loverには、邪道だと激しく非難されるが、美味しいものは美味しい。白ごはんなくてなにが焼肉か。
ホテル暮らし。
2024.1.19また出張が増えてきた。コロナ前にかなり近づいている。流行病のお陰でオンラインは間違いなく定着したが、現地に足を運び、リアルな対面も当然重要で、自ずとホテル暮らしは増えていく。昨年の外泊を数えてみたら39日。年間ひと月余りをホテルで眠っている計算だ。
余計な一杯。
2023.8.18時々呑みに出掛ける。そして、ここが適量とわかっちゃいるけど、ついもう一杯とやってしまうのはなぜ?気の置けない仲間と硬軟取り混ぜた馬鹿話と共に呑む酒は、最高に美味しく楽しい。酒は決して強くはないし、たかが知れているけれど、やっぱり今夜ももう一杯。
抱きしめた。
2023.3.26今年の松の内が明け、急な展開で次男が東京の高校へ編入することになった。地元高校で1年生だった次男とは、中学の頃から2人の時間が長かった。母は自分の夢を追って、拠点を東京に移し、兄もまた東京で料理の世界に飛び込んでいる。そして次男も旅立つことに。


