ここから本文です

柿豚料理会が始まったのはいつだったか。いまはおぼろだが、僕ら家族が宝珠山村(現東峰村)に暮らしていた頃、そこで出会った若松亮太くんがきっかけだったと思う。共同通信の記者という本業と、地味な風貌からは想像もつかない過激な料理人。すべての始まり。

その事実がわかってからは、村の中で何度も料理会を開いては、数々の美味を堪能した。そのうち、件の若松くんが東京転勤になり、主役が厨房で料理を作り続けるという、随分理不尽な送別会を開き見送ったが、東京でやればいいんじゃないかと誰かが言い出し、折しも柿を食べさせて肉質を劇的に改善した柿豚が誕生したこともあり、柿豚料理会が始まった。
東麻布にある友人の建築設計事務所で、料理会はスタートした。その絶品料理とゲストの多彩さは、料理会の最大の特徴になった。それはまるで、人と情報が交錯するメディアで、その後場所も料理人も変遷し、さらに全国で開催されるようになった。先日福岡で、恩のある旧知の料理人が腕を振るうというので出掛け、そんな22年の時間を静かに噛みしめた。

この日の料理人は復活したゴトウタカコ女史。

僕の左は柿之屋の秋吉くん。もうひとりの主役。

のび太にしか見えない若松くん。ところがどっこい。

この時の福岡柿豚会は、大名松楠居で開催。

いったい何人の人と柿豚を食べたのだろう。

いまも味を想い出す若松シェフの柿豚料理。

留学先で覚えたという中華が基礎になっていた。

さまざまな著名人もフツーに混ざっていた。

毎回唸るフルコース。木皿は山口和宏氏の作品。

厨房で奮闘する若松くん。僕らはりょうだくんと呼ぶ。

 

by 江副 直樹 2024-11-30 22:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

by EZOE naoki

Archives

◎2006年3月 → 2010年8月