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数えてみたら、人生で11回目の引っ越しだった。始まりは、間借りをしていた佐賀市内のお寺から、父親の転職で北九州八幡の仮住まいへの移住のような引っ越し。すぐ後に青山2丁目の店舗付き住宅へ。高2のとき、父が独立して米穀店を開業するため下上津役へ。

その後2店舗目を本城に開店。僕は20代の終わりまでこの店を手伝いながらそこに住んだ。30歳直前、僕自身の専門学校入学で福岡へ。南福岡に1年だけ住み、近くの下大利へ。ここでは、ワンルームから2DKへと変遷があり、44歳の時、夫婦ふたりで東峰村へ移住を決行。セルフリノベーションで古い農家に暮らし、ふたりの息子たちはここで生まれ育った。
日田はすでに生活圏だったが、12年後日田に家を建てることになる。僕の中では、マイホームとか終の棲家という意識はまるでなかった。さらに12年後、ひとり暮らしが常態化し、ダウンサイジングへの関心も募り、売却を決めた。愉快なご縁で住み継いでくれる方が決まり、理想に近い新居もすぐに見つかった。なんだか、導かれているみたいな気がする。

新しい散歩道からの風景。新居は右端の方に微かに見える。

by 江副 直樹 2026-5-21 17:05 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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