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ごくたまに、大都会の夜景などを見ると、キレイだなと思う。でも、どこもここも明るくて、昼も夜もない環境はどこか受け容れ難いものがある。夜の闇は、やはり闇としてそこにあるべきだと思えてならない。もう20年以上前の、過疎の村での体験を思い出した。

その年の秋、福岡の郊外から東峰村に移住を決めて、当時築70年の古い農家を借りた。何度か往復して引っ越しを終えるのだが、ある日急な用事を思い出し、夜村へ向かった。その日は新月で、到着しクルマのドアを閉め外に出ると、文字通り漆黒の闇。なにも見えない。一歩も動けなかった。スマホもなかったのか、なんとか石垣伝いに辿り着いたものだ。
その頃から思っていることがある。照明って、闇を消し去ることが目的ではなくて、闇をいかに演出するかが本質なのではないか。そう言えば、リノベの最初の作業は、家中の白々しい蛍光灯をすべて外し、白熱灯に換えることだった。いま暮らす日田の住まいも夜は真っ暗で静かで、それが気に入っている。闇と静寂は一対。後者については、またどこかで。

分母庵は山の中腹にあった。闇の中のわが家。

by 江副 直樹 2022-8-3 10:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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