非生産性。
2018.6.29僕らの営みの良否の判断に、それが生産的か否かという基準がある。生産的でないと言われれば、それは効率が悪いだの、価値が見出せないだの、なんだか後ろめたさを煽られるような、そんなイヤな物差しなのだ。生産性が低いと、あるいは無いと、本当にダメなのか?
換金できそうな、なにかを産み出さないと、その振る舞いは評価されない判断基準。本当にそうなのか?それは、知らぬ間に背負ってしまった呪縛?世界中の人々を狂喜させてくれるスポーツ。また、深い感動を与えてくれる芸術。そして多種多様な遊びはどうだ?どれも、直接は金銭を生まない。でも、どれだけ僕らの人生を楽しく、豊かにしてくれるだろう。
あるいは、基礎研究はどうだ?学問における一般教養は?こうした知の遊戯とも言うべき帯域から、突如新しい未来が現れる。生産性を過度に顧みないところから、次代の地平が広がる。まずは好奇心の赴くままに感じ考え、それを止めないこと。ここでもまた、僕らは見えないものを見なければならない。自分の遊びの言い訳に、長広舌を振るってしまった。
by 江副 直樹 2018-6-29 21:09