肝心なのは全体観。
2011.7.22思ったほど快晴続きとはならないが、今日の日射しは強烈だった。真夏の呼び水となるか。
物事をつい総合的に見てしまう習性は、もうずっと昔から。眼前の事象に連続する関連情報、つまり周辺や背景、時系列で言うなら経緯、プロセスといった事柄を、どうしても切り離しては考えられない。プロデュース稼業はなるべくしてといったところ。
いまでは確信を持って、総合だ全体だと喚いている。部分はあくまでも全体の中の部分であって、患部が部分だからと、その因果がそこにとどまることはない。すべては繋がっている。こちらの要素があちらの要素に影響を与え、その逆もまた当然。目に見えるのは個々であっても、それらを結び、小宇宙を構成する「関係」が見えることはない。
よく放つわが繰り言は、「枝をいくら集めても大木にはならない」 。花や実のある枝葉を集める所業は多いが、大切なのは幹。枝葉はそこから勝手に伸びる。そしてそれらを成り立たせるのは、深く地中に伸びる根っこである。この見えない根っこを、僕はコンセプトに喩えている。ここを感じる力を知性と呼ぶ。難しさと深さは、まさにそこにある。
明日は土曜日。晴れるかなあ。川に涼みに行くと仕事もはかどる。強くそう信じている。
by 江副 直樹 2011-7-22 22:10