桜花の妖しさ。
2022.3.28今年も桜が咲いた。毎年この時季、桜についてブログを書いている。陶然とするほどの美しさを持つ桜は、それだけではないなにか心の奥にざわめきに似た、妖しい感情を宿すのである。春の記憶はもう60年を超えたが、大人になって余計にそうした心象に覆われている。
桜花の気高き美しさはずっと人々の心を捉えてきたが、満開とともに散り始める儚さこそが、先の焦燥に似たざわめきの正体か。ハナニアラシノタトエモアルゾ サヨナラダケガジンセイダ。井伏鱒二の名意訳が胸に染みる。一斉に散る様を、花吹雪と名乗れる資格は、唯一桜にしかない。行く春を惜しむ。この表現もきっと桜と紐付いていると思えてならない。
梶井基次郎は、桜のあまりの美しさは、根元に屍体が埋まっているからとしか考えられないと書いたらしい。木の芽時という言葉もある。この季節ならではの心身の乱れのことだが、僕自身も50年近く前、大学入学時に見舞われ、数年に亘り深く苦しい思考の時間を過ごしたことがある。少年の出口で、僕はいつの間にか桜の妖しさに飲まれていたのだろうか。
by 江副 直樹 2022-3-28 10:10