教養とOS。
2014.12.16冷たい雨が降ると、冬が少し近づく。真っ白な霜が降りると、冬が少し寄ってくる。
僕が子供の時分は「教養の有無」という言い方があった。ま、教養がおありで、なんて。最近はとんと聞かない。大学も最初の2年は、教養課程があって、専門課程に進むのは広い教養を身につけてからといったカリキュラムが一般だったが、近頃はいかがか?
すぐに役に立つスキルを最上とする薄い感じ。目に見えるものだけを数えているような心許なさ。にわかに効能が見えなくとも、ボンヤリと価値が匂うモノコトを大事にする直観を本当の知性というのではないか。各専門性ですべてが賄えると考えるのは、実は幼稚の証なのではないか。曖昧だが気になる何か。割り切れないままの答を持ち続けたいと思う。
教養はパソコンで言うならOS。アプリケーションが作業をするが、それは堅牢なOSがあってこそ。OSがしっかりすることで、アプリケーションは機能する。OSは、五感を鍛え、感動を積み重ねると良く育つと勝手に決めている。専門性の過度の評価は、教養の軽視になり易い。効率とは、仕事をする指先だけを見ること。わが教養とOSのメンテに励む所存。
衆議院総選挙の投票率の低さに唖然。国民に教養が足りてないのかと訝ってしまう。
by 江副 直樹 2014-12-16 23:11