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tag:釣り

毎年、5月下旬に鮎が解禁となって、たちまち梅雨がやって来る。嗚呼。

過疎の村から、街の外れに降りてきて早3年目。10年を越えた山川草木の中の暮らしに及ばないが、それでも周囲は木々は多く、鳥の声は賑やかで、初夏にはホタルも飛ぶ環境は、とても気に入っている。加えて、諦めていた野菜のおすそ分けも存分なのだ。

by 江副 直樹

段取り八分。

2016.5.28

薄陽から薄曇り。朝晩は涼しいが、日中は半袖に頼りたくなる。

職人などの世界では、俗に段取り八分という。仕事の8割は、準備や仕込みで決まってしまうことを言い当てた至言。この指摘は、限られたジャンルに止まらず、我々の営みのほぼすべてに通用するだろう。ただ、その本質は作業ではなく、思考ということになる。

by 江副 直樹

飯田高原LOVE

2016.5.24

薄陽差す朝。春の終わりと夏の始まりの境。日中は夏一色。

大分県九重町飯田高原に通い始めて、もう40年程。20歳を過ぎ、自分のクルマを持った頃、やたらドライブをしていたあの頃、九州とは思えないその風景にいたく感動し、虜になった。仕事、住所。人生には変遷が付きものだが、飯田高原LOVEだけはいまも変わらず。

by 江副 直樹

情緒で語る。

2016.5.12

花が多かった草いちご。やはり、豊作のようで、赤い実が目立ち始めた。

先週、ここのえ低山部の今年2回目の山行きがあった。今回は、雑誌の取材を兼ねていたのだが、近頃やたらと興味を持たれるここのえ低山部。言葉自体は、言うまでもないが、僕らの発明でも何でもなく、昔からさまざまな方々が、低山徘徊を楽しんでおられる。

by 江副 直樹

GW中日。日田は肌寒い朝。妻子が留守で静かな、そして徒然なる一日。

フライフィッシングを始めたのは、24歳の春だった。大学を中退し、家業の米屋を手伝いながら、若者にありがちな、希望より不安が勝る、先の見えない頃。本を乱読し、友人たちと明け方まで語り合う日々。ある日、衝動的に、本当に衝動的に魚釣りがしたくなった。

by 江副 直樹

豊後大野で。

2016.4.18

14日の地震のあと、16日にも大きな揺れ。大地が鎮まることを祈るのみ。

その数日前、豊後大野の郊外でパン屋を営む、釣友でもあるU氏とともに川に入った。普段は、数ヵ所のホームグラウンドをウロウロするだけなのだが、年に数回だけ美しすぎる川に惹かれて遠出をする。いつも、夕まずめの小一時間を釣るだけののどかな釣り。

by 江副 直樹

見える魚は。

2016.3.29

連日の晴れ。随分暖かくなってきた。平地ではダウンはもう要らない。

3月はヤマメ釣りを愛する人間にとっては、特別な月。前年の9月末日をもって始まった禁漁が、1日から解禁になる。言わば正月。春は名のみの厳しい天候も珍しくないが、ヤマメは流れの中で、しっかりコンディションを整えている。さあ、暖かくして出掛けよう。

by 江副 直樹

納竿の候。

2015.9.26

朝晩がどんどん涼しくなって、季節は急激に坂を下っている。夏が終わる。

早春のヤマメに始まって、秋の入り口の鮎で竿を納める。ここ10年は、それが慣わしとなってきた。ヤマメだけをやっていた頃は、9月の下旬ともなると月末の禁漁が意識されて、強い焦りに包まれるのが常だった。鮎も似たようなものだが、少し雰囲気は変わってくる。

by 江副 直樹

日々の風景。

2015.8.29

土曜日と日曜日はゆっくりと長散歩。いつものコースから少し遠出をする。

日常と非日常などと言う。ハレとケなんて言い方もするときがある。つまり、日常とは取り立てて何かが起こるわけでもない、昨日の延長の今日があって、きっと今日と大きく変わらない明日の到来が予想される日々のこと。非日常はそこからの逸脱。多くは歓喜を伴う。

by 江副 直樹

あれだけ長い梅雨だったのに、今度は日照り続きの毎日。暑いなあ。

鮎の友釣りを始めて10年目。ヤマメをひとしきり追った初夏以降は、涼風吹く秋口までずっと上中流域の鮎とともに過ごすようになった。ヤマメはウェーダーと呼ぶ胴長を履いて川を歩く。水が中に入ることはない。一方の鮎釣りは、タイツというものを身につける。

by 江副 直樹