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今朝は少し暖かかったが、今夜はまた雪が降るところがあるとか。三箇日が明けた。

子供の頃からいままで、ずっと信心が薄い。小学校に上がるまで寺に間借りをし、本堂や境内が遊び場だったのに、罰当たりなことばかりを繰り返してきた。人間の生き方を大きく左右する宗教には、多大な関心があるのに、自身のこととなると無頓着きわまりない。

特定の信仰に傾倒することはないものの、釣りで山や川を歩いたり、10年に及ぶ山暮らしで、じわじわと自然の畏怖のごときものを感じるようになった。うまく言えないのだが、怖れを感じないことが恐くなるような不思議な感覚。そこに、きれいな風景に嘆息する気持ちと明確な境目はない。大きな木に感動し、激しい流れに恐怖を覚えるのとも近い。
昔、NZで美しい湖を見たとき、反射的に涙が出そうになったことがある。神々しい日の出に遭遇したら、思わず手を合わせようとしたこともある。そんな奥底からの感情の波立ち。築80余年の分母庵に住むようになって、水の神や火の神という意識がわずかだが芽生えた。これが信心の出所なのか。いまだ的確に伝える言葉を持てずにいることがもどかしい。

出掛けての打ち合わせはないが、作業はすでに始まった。来年の正月が待ち遠しい。

祭壇のようなもの。

神棚もない家だが、それらしいしつらいはある。柏手は打たない。

凛とした冬の林道。

静かな林道を家族で歩く。雪が積もり、静謐さはいっそう強まる。

山の神の祠で。

その年最後の祭りの舞台となる森の中。年明け、家族でお参りに来る。

この空気感。

夜明けが最も荘厳な感じがする。それが見たくて早起きなのかもしれない。

 

by 江副 直樹 2012-1-4 18:06 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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